伊良湖の椰子の実(六) | 醒餘贅語

醒餘贅語

酔余というほど酔ってはいない。そこで醒余とした。ただし、醒余という語はないようである。

 こう見てくると「伊良湖半島」に引用されたとされる三通の書簡を、本当に柳田が花袋に宛てて書いたものとは考え難い。おそらく花袋自身が共に見聞したところを柳田に仮託して述べたのではないかと思われる。つまり両人で盆踊りを見て、椰子の実を見付け、互いに語り合った印象を手紙の形にまとめたのであろう。


 そうであれば、先に引用した「故郷七十年」の記述に対して若干の疑義が生ずる。これは宇田川氏も夙に「島崎藤村詩への招待」中、「椰子の実」の項の解説で指摘されている。平たく言うと、結果として柳田国男がネタ元であるかのように自ら吹聴した形になっているが、額面通りには受け取れないという事であろう。「故郷七十年」は口述筆記のようであるから、手柄話を意図したわけではなく、話の勢い、あるいは記者の筆の滑りということかもしれない。


 「椰子の実」の初出は三十三年六月の新小説である。花袋もこれに刺激されたからかどうかは分からないが同じ年の九月の新声に「村の白壁」と題した長い新体詩を寄せており、そこには椰子の実について一行だけ記述がある。先の椰子の実の項の解説には一部引用されている。全編は「花袋とその周辺」第十九号に掲載されているが、椰子の実の聯だけを以下に示しておく。

     星光る海路の果てに 椰子の実の故郷を思ひ

 全体を通して読むと、対岸の伊勢、あるいは志摩から伊良湖岬を臨み、当時を回想したり、村乙女の悲恋を思ったりする内容である。椰子の漂着に大和民族の来し方を思うというような、柳田、あるいは後年の柳田が持ったような想念はもちろんない。藤村は自らの流離になぞらえ、花袋は大いに浪漫的である。

 田山花袋、「伊良湖半島」、『南船北馬』(博文館、明治三十二年)
 栁田国男、「遊海島記」、『柳田国男全集2』(ちくま文庫、1989)
 田山花袋、『東京の三十年』(岩波文庫、1981)
 栁田国男、『故郷七十年』(講談社学術文庫、2016)
 宇田川、丸山、宮内編、「年譜」、『定本田山花袋全集別巻』(臨川書店、1995)
 小田富英編、「柳田国男年譜」、『柳田国男全集別巻1』(筑摩書房、2019)
 館林市教育委員会文化振興課編、『田山花袋宛柳田国男書簡集』(館林市、平成三年)
 田山花袋、『日本一周前編』(博文館、大正三年)
 島崎藤村、『藤村全集第十七巻』(筑摩書房、昭和四十三年)
 近代文学研究室、「太田玉茗」、『近代文学研究叢書26』(昭和女子大学近代文化研究所、昭和三十九年)
 栁田国男、「北国紀行」、『柳田国男全集2』(ちくま文庫、1989)
 田山花袋、「秋の岐蘇路」、『草枕』(博文館、明治三十八年)
 丸山幸子、「田山花袋紀行年表」、『文学研究パンフレット花袋とその周辺第14号』(文学研究パンフレット社、平成三年)
 田山花袋、「草鞋ずれ」、『文学研究パンフレット花袋とその周辺第13号』(文学研究パンフレット社、平成二年)
 宇田川昭子、「椰子の実」、『島崎藤村詩への招待』(神田重幸編、双文社出版、2000)
 田山花袋、「村の白壁」、『文学研究パンフレット花袋とその周辺第19号』(文学研究パンフレット社、平成五年)