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▲東博・表慶館の階段

 

 

 

ほぼ1年ぶりに剣道の稽古に行ったよ、と伏し目がちに語りはじめたから、これは今日は聴く日なのだなと思って、ふんふん、へえ~ってこちらは片手で仕事しながら聴いていると、普段は大人や子どもに教えながらものすごく久しぶりに自分の稽古に行ったら、そのできなさ加減に打ちのめされた、という。

 

 

そりゃあそうでしょうよ。

ていうか、そういうものですよね?

稽古してないのが悪いとかいう話ではなく、先生くらいのレベルで物事を追及している方にはそれこそ完成なんてのはないのではないですか。

しかも剣道みたいに「その道を究める」ような類のものは、やればやるほど、わからないことや自分に足りないことが見えてきて、うわあってなるんじゃないですか。

 

 

 

とまあ矢継ぎ早にまくしたてるわけだけど、私がこのとき頭に思い浮かべているのはもちろん剣道ではなくてバレエのことで、全然そんなレベルではないのに、大部分は想像と仮定なのに、それでもかなりの確信をもって話している。

 

 

たぶん相手は言われたい。

全部もう知っていることだけど、あえて他人から言われたい。

そして、外では絶対口が裂けても言えないような泣き言を口にしたい。

 

 

先生:俺いったい何やってんだろ?って気になってくるわけよ。道場行くと周りはすごい人ばっかりでさ。

 

私:そうでしょうねえ。先生の先生、みたいな人ばっかりなんでしょう。

 

先生:もうなんか修行みたいなの、やめたい。

 

私:いやいや、本心では思ってないですね、それは。もっと高めたいからこその逃げですね。

 

 

こんな堂々巡りみたいな話を3周回くらいして、気が済んだのか帰っていった。

先生の本業は別にあって、剣道は趣味。

趣味でもすごいレベルで、本当なら私なんかがおいそれと生意気な口を利ける相手ではないのだろうけれど、そこはまあ役得というか、そういう話ができる人間関係に感謝だ。

 

 

やめたいとおもしろいは表裏一体で、やめられないくらいおもしろくて、やめたくなるくらい苦しくて、どうにもこうにも離れられないのが本当に好きなことで、性に合っていることなのだろうと思う。

 

 

でもね、乱暴に叱咤激励しながらも、コロナで自粛している間に、今まで鍛錬してきたはずの自分の力が失せてしまったようなむなしさは痛いほど伝わった。

それはもう誰のせいでもなくて、ほとんどコロナ関係なく稽古に行き続けた人もいれば、仕事の都合や立場上そういうふうには行動できずに結果として道場から離れざるを得なかった人もいて、現時点でのその力の差はやっぱり見えたんだと思う。

 

 

くやしいね。

がんばれ。(←何様!)