議員会館を手伝ってくれている東大生の島田君は、高知の生活保護家庭で育った。思うところがあって、彼にブログを書くことを勧めてみたところ、読み応えのある文章を書いてくれた。
生活保護家庭出身の若者が実名でブログを書くとなると、バッシングを受けるリスクがある。事務所に来るようになった島田くんの境遇と性格を見ていて、私は「これなら大丈夫」と判断した。貧しい家庭の子どもの学習を支援しているNPOでボランティアをしている彼には、生活保護家庭の子どもの実情を変えたいという使命感がある。動機が明確な人はバッシングに強い。事務所を手伝ってくれている限り、理不尽なバッシングから彼を守ることもできるだろう。
若者の場合、ブログが話題になると、自分は偉いと「勘違い」してしまって、道を誤るリスクもある。彼の場合、数学者になるという目標(その辺りの事情は彼のブログ1参照)があり、心配ないと確信した。
本題に入る。生活保護家庭の子どもは高校を卒業すると「稼働に資する」ために、専門学校や大学に行くことを認められていない。例外的に、生活保護世帯から分離(いわゆる世帯分離)すれば進学が認められるが、進学に至る壁は異様に高い。
生活保護家庭には、予備校や塾に行く経済的余裕はない。生活保護費でそうした支出は認められないのは仕方がないとしても、島田くんの場合、お金がなくて高校の修学旅行に行かず、勉強するために修学旅行をサボった変なやつと思われて孤立するなど、その境遇は壮絶だ。
受験のハンデとなると半端ではない。以下、島田くんのブログから引用する(ブログ2)。
『より実際的で決定的な問題は受験から入学に際して生じます。受験するにあたってもっとも苦労したのはやはりお金の問題で、受験料はもちろん交通費やホテル代等かなりの額が必要になります。受験するからといって保護費が増えるわけではありませんから、元々ギリギリの家計からこれらの費用を捻出するのは中々の無理難題です。
私の場合もかなり無理を言って受験費用を出してもらい、前期も後期も東大、滑り止めなしの一本勝負となりました(これは半分意地でありました)。落ちたら死ぬ、それくらいの覚悟で挑んだ入試でしたが、問題を解き忘れるなど普段ではあり得ないミスを連発してしまい、全くもって納得のいくものではありませんでした。合格発表までの二週間は日増しに落ちた気しかしなくなっていき、ずっとどうやって死ぬかを考えておりましたが、努力の甲斐あって合格していました。こうして私は少しだけ生を延ばすこととなったのでした』
他の生活保護家庭の子どもの例を見ても、基本的に浪人は認められていないので、彼らは背水の陣(島田くんの場合、命懸け)で受験することになる。島田くんは、凄まじい反骨心で経済的ハンデを乗り越えたのだ。これまで多くの学生と接してきたが、島田くんはずば抜けて優秀だ。彼のような才能が、生活保護家庭であることを理由に埋もれていたらと考えるとゾッとする。
ただ、誰もが島田くんと同じことができるわけではない。大学・専門学校などへの進学率は、全世帯平均の7割なのに対して、生活保護世帯は3割に留まっている。多くの子どもたちが最初から進学を諦めているからだ。私は誰もが大学に行かねばならないと思っているわけではない。経済的な状況に関わらず、勉強したい子どもには平等にチャンスを与えるべきなのだ。NPO法人キッズドアの方によると、学校の先生になりたかったある生活保護家庭の女子中学生は、学校の成績が一番だったにも関わらず、大学進学を諦めて商業高校に進学したという。
世帯分離については、もう少し説明が必要だと思う。生活保護費は世帯に支給されるので、家族の人数によって支給額が変わる。子どもが世帯分離すると、生活保護費が減らされることになる。子ども一人あたり月に6万円ほど支給額が減る計算になる。島田くんは『私は、世帯分離をして、自らの身体の一部を切り捨て前進するくらいの気持ちで進学しました』と書いている(ブログ3)。商業高校に進学した女子中学生も、世帯分離をするとお母さんが生活できなくなることを考えての決断だったそうだ。子どもにとって、生活苦にある親の保護費が減ることは、それだけ辛いことなのだ。生活保護に頼っている大人には責任があるとの厳しい意見もあるだろうが、子どもは家庭を選ぶことはできない。考えるべきは、貧困の連鎖をいかにして止めるかだ。
ちなみに、高校は義務教育ではないが、世帯分離は必要ない。高校進学が一般化した1970年、通知の改正によって生活保護家庭の子どもの進学が認められたのだ。それから半世紀、止まっている時計の針を前に進めるためには、局長通知一本変えるだけでいい。その壁をいかにして超えるか。
生活保護家庭の子どもに進学を認めると、生活保護費が余分(少なくとも月6万円)にかかる。ただし、島田くんの場合、2年生になって生活費を稼いで少しずつ貯金ができるようになっているので、世帯分離の猶予期間(生活保護家庭に留まる期間)はわずか一年で済むことになる。金額にして約70万円。高卒で働いた場合の島田くんと、立派な数学者になった時の島田くんを比較すれば、どちらが国家財政にとってプラスかは明らかだろう。わずかな期間、社会が若者を支えることで、貧困の連鎖を止めることができる。そして、やがて彼らは納税者になるのだ。
多くの人の理解を得るために、財政の説明をしてきたが、根幹にあるのは教育に関する考え方だ。このことには、私自身の経験も関係している。大学3年の時に、父が会社を辞めたことで、経済的に自立することになった。生活費はアルバイトで稼ぎ、学費の免除を受けることになった。社会が自分にチャンスを与えてくれたと思った。ありがたかった。卒業間際、阪神淡路大震災が起こった。神戸でのボランティアに参加したのは少しでも恩返ししたいと思ったからだ。あの経験がなければ、政治家になることはなかっただろう。教育とはそういうものだと思う。
安倍総理は施設方針演説で「どんなに貧しい家庭で育っても、夢を叶えることができる。そのためには、誰もが希望すれば、高校にも、専修学校にも、大学にも進学できる環境を整えなければなりません」と踏み込んだ。チャンスは来ている。ここは、何としても結果を出したい。
生活保護家庭出身の若者が実名でブログを書くとなると、バッシングを受けるリスクがある。事務所に来るようになった島田くんの境遇と性格を見ていて、私は「これなら大丈夫」と判断した。貧しい家庭の子どもの学習を支援しているNPOでボランティアをしている彼には、生活保護家庭の子どもの実情を変えたいという使命感がある。動機が明確な人はバッシングに強い。事務所を手伝ってくれている限り、理不尽なバッシングから彼を守ることもできるだろう。
若者の場合、ブログが話題になると、自分は偉いと「勘違い」してしまって、道を誤るリスクもある。彼の場合、数学者になるという目標(その辺りの事情は彼のブログ1参照)があり、心配ないと確信した。
本題に入る。生活保護家庭の子どもは高校を卒業すると「稼働に資する」ために、専門学校や大学に行くことを認められていない。例外的に、生活保護世帯から分離(いわゆる世帯分離)すれば進学が認められるが、進学に至る壁は異様に高い。
生活保護家庭には、予備校や塾に行く経済的余裕はない。生活保護費でそうした支出は認められないのは仕方がないとしても、島田くんの場合、お金がなくて高校の修学旅行に行かず、勉強するために修学旅行をサボった変なやつと思われて孤立するなど、その境遇は壮絶だ。
受験のハンデとなると半端ではない。以下、島田くんのブログから引用する(ブログ2)。
『より実際的で決定的な問題は受験から入学に際して生じます。受験するにあたってもっとも苦労したのはやはりお金の問題で、受験料はもちろん交通費やホテル代等かなりの額が必要になります。受験するからといって保護費が増えるわけではありませんから、元々ギリギリの家計からこれらの費用を捻出するのは中々の無理難題です。
私の場合もかなり無理を言って受験費用を出してもらい、前期も後期も東大、滑り止めなしの一本勝負となりました(これは半分意地でありました)。落ちたら死ぬ、それくらいの覚悟で挑んだ入試でしたが、問題を解き忘れるなど普段ではあり得ないミスを連発してしまい、全くもって納得のいくものではありませんでした。合格発表までの二週間は日増しに落ちた気しかしなくなっていき、ずっとどうやって死ぬかを考えておりましたが、努力の甲斐あって合格していました。こうして私は少しだけ生を延ばすこととなったのでした』
他の生活保護家庭の子どもの例を見ても、基本的に浪人は認められていないので、彼らは背水の陣(島田くんの場合、命懸け)で受験することになる。島田くんは、凄まじい反骨心で経済的ハンデを乗り越えたのだ。これまで多くの学生と接してきたが、島田くんはずば抜けて優秀だ。彼のような才能が、生活保護家庭であることを理由に埋もれていたらと考えるとゾッとする。
ただ、誰もが島田くんと同じことができるわけではない。大学・専門学校などへの進学率は、全世帯平均の7割なのに対して、生活保護世帯は3割に留まっている。多くの子どもたちが最初から進学を諦めているからだ。私は誰もが大学に行かねばならないと思っているわけではない。経済的な状況に関わらず、勉強したい子どもには平等にチャンスを与えるべきなのだ。NPO法人キッズドアの方によると、学校の先生になりたかったある生活保護家庭の女子中学生は、学校の成績が一番だったにも関わらず、大学進学を諦めて商業高校に進学したという。
世帯分離については、もう少し説明が必要だと思う。生活保護費は世帯に支給されるので、家族の人数によって支給額が変わる。子どもが世帯分離すると、生活保護費が減らされることになる。子ども一人あたり月に6万円ほど支給額が減る計算になる。島田くんは『私は、世帯分離をして、自らの身体の一部を切り捨て前進するくらいの気持ちで進学しました』と書いている(ブログ3)。商業高校に進学した女子中学生も、世帯分離をするとお母さんが生活できなくなることを考えての決断だったそうだ。子どもにとって、生活苦にある親の保護費が減ることは、それだけ辛いことなのだ。生活保護に頼っている大人には責任があるとの厳しい意見もあるだろうが、子どもは家庭を選ぶことはできない。考えるべきは、貧困の連鎖をいかにして止めるかだ。
ちなみに、高校は義務教育ではないが、世帯分離は必要ない。高校進学が一般化した1970年、通知の改正によって生活保護家庭の子どもの進学が認められたのだ。それから半世紀、止まっている時計の針を前に進めるためには、局長通知一本変えるだけでいい。その壁をいかにして超えるか。
生活保護家庭の子どもに進学を認めると、生活保護費が余分(少なくとも月6万円)にかかる。ただし、島田くんの場合、2年生になって生活費を稼いで少しずつ貯金ができるようになっているので、世帯分離の猶予期間(生活保護家庭に留まる期間)はわずか一年で済むことになる。金額にして約70万円。高卒で働いた場合の島田くんと、立派な数学者になった時の島田くんを比較すれば、どちらが国家財政にとってプラスかは明らかだろう。わずかな期間、社会が若者を支えることで、貧困の連鎖を止めることができる。そして、やがて彼らは納税者になるのだ。
多くの人の理解を得るために、財政の説明をしてきたが、根幹にあるのは教育に関する考え方だ。このことには、私自身の経験も関係している。大学3年の時に、父が会社を辞めたことで、経済的に自立することになった。生活費はアルバイトで稼ぎ、学費の免除を受けることになった。社会が自分にチャンスを与えてくれたと思った。ありがたかった。卒業間際、阪神淡路大震災が起こった。神戸でのボランティアに参加したのは少しでも恩返ししたいと思ったからだ。あの経験がなければ、政治家になることはなかっただろう。教育とはそういうものだと思う。
安倍総理は施設方針演説で「どんなに貧しい家庭で育っても、夢を叶えることができる。そのためには、誰もが希望すれば、高校にも、専修学校にも、大学にも進学できる環境を整えなければなりません」と踏み込んだ。チャンスは来ている。ここは、何としても結果を出したい。