生きる意味をこじらせないで ドラマ「anone」の疑似家族 暮らすこと、ただ「いる」ことが大事 | かなこの「恋はときどき」

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 生きがいや生き方、生きる意味――人はみな「生きる」ことを大仰に考えすぎじゃない? そんな問いを投げかけたのは、ドラマ「anone」(日テレ系、水曜22時~)2月7日放送の第5話だ。それぞれにトラブルを抱えた不器用な登場人物たちが、労わり合いながら奇妙な同居生活をする。母的なる存在のアノネ(田中裕子)は、ただ一緒にいればいい、日々を暮らすことが大事だと言う。それぞれの事情や領分(テリトリー)には踏み込まない疑似家族が、互いの傷を癒していく。

 

 訳アリの人々ばかりが登場する。夫に先立たれ、弁護士事務所で働くアノネ(田中)は、自宅工場で見つけた偽札を捨てた。それを拾ったのをきっかけに、孤児でネットカフェ住民だった19歳のハリカ(広瀬すず)、余命半年と宣告された独身のカレー店主・持本(阿部サダヲ)、夫と息子に捨てられ自殺願望のあった青羽(小林聡美)が知り合う。

 

第5話ではこの4人が「家族ごっこ」を演じた。持本と青羽がアノネ宅にいる時ちょうど、アノネの働く事務所の弁護士(火野正平)が釣果を持って訪れる。とっさに3人は家族を演じる。青羽がアノネの妹で、その夫が持本、夫婦の娘が大学生のハリカという設定だ。「パパ」「ママ」「お姉さん」。言いたかったけれど、言う相手のいなかった架空の関係を、つかの間楽しむ。弁護士に「家族っていいですね」と言われ、演じている当人たちもこの疑似家族に居心地の良さを感じる。

 

アノネはその夜から「また猫が増えたようなもんだから」と、捨て猫を拾ったような気軽さで、持本と青羽にも布団を与える。すでに住まわせていたハリカとは枕を並べて眠る。

 

疑似家族生活が始まってしばらくして、ハリカは、大切な友達の彦星君の容態が悪いことを知る。実の親に捨てられ入れられていた厚生施設での仲間だ。偶然に携帯アプリで友達になった彼は、がんで余命いくばくもなかった。悪い予兆のように何度も蛍光灯が切れかかる中、ふと心配になったハリカが病院へ行くと、彦星はICU(集中治療室)に入っていた。

 

連絡もなく帰りが遅いのを心配したアノネが電話すると、ハリカは暗い声で「今日、そっち行けないかも」「また明日とか、そっち行くから」と言う。友達とカラオケに行くとのをアノネは見破る。心配していると言う代わりに、アノネはハリカに言う。「ハリカちゃん? 一個だけいいかな。今ハリカちゃん、そっち行けないかもとか、明日行くからとか言ったけど、ここはもう行くところじゃないからね。ここはもう、ハリカちゃんが帰るところだからね。…布団並べて寝てるでしょ。今度からは、行くじゃなくて帰るって言いなさい。帰れない日は、帰れないって言いなさい」

 

ここはもう、ハリカのなのだと。帰るべき場所、帰っていい居場所なのだと。その言葉で、ハリカにも十分、アノネが心配していたことが伝わっただろう。ハリカは言う。「アノネさん。…今日は、帰れない」。思いつめた声音に、アノネはなにごとかを感じ取る。様子のおかしいハリカに問いかける。「今どこにいるの」

 

 果たしてハリカは、彦星の病室が見える公園にいた。彦星が良くなってICUから戻って来るのを、なすすべもなく、ただ待っていた。「また宿題忘れちゃった?」アノネは、所在なげなハリカの手を取る。冷たくなった素手を握りしめ、「手袋は?」。まるで母のようだ。その温かさにハリカは、独り言のように告白する。「本当は私ここにいても、あんまり関係ないの」「何も、することがない、っていうか」。あそこに誰がいるのと聞かれ、「ちょっと私に似てる人」「彦星君、ていう」と答えるハリカ。「大事な人なんでしょ」と問われ、ためらう。「大事な人……、大事な人だったら、こんなとこいないよね。側にいるよね」

 

ハリカはそこで、彦星君の父母が、彼を放って食事に行ったことを告げ、自分も同じだと泣く。彼が苦しんでいた時に笑っていたし、熱を出している時にご飯を食べていた。彼の病気を治してあげることも、お金がないから良い病院に連れて行ってあげることもできない。何もしてあげられないのは一緒だから。私も、レストランでご飯食べてる人とおんなじ。ここに、いてもいなくてもおんなじ。全然、大事にしてない

 

だから帰ろうと、離れかけるハリカを、アノネは引き留める。「ここにいなさい」。力づくで押し留め、強い口調で言う。「いなさい。ここを離れちゃダメ何もできなくていいの。その人を思うだけでいいの。その人を思いながら、ここにいなさい

 

 泣き出すハリカ。泣きながら、彦星のいない窓辺を見つめる。その後ろ姿を心配そうに見つめるアノネ。やがて朝を迎えた窓辺に、無事、彦星が帰って来る。カーテンを開ける彦星の元気そうな姿に安心し、喜び、家に戻ろうとして、ハリカは公園内の離れたベンチで座って待っていたアノネを見つける。「アノネさん、彦星君、目覚ましたよ」。頷くアノネ。抱きついて泣きだすハリカを、抱きしめ、頭をなでてやる。ひと段落するとアノネは、「あなたちょっと前髪長すぎじゃないの」と、関係ない言葉を掛ける。そのやさしさにまた抱きついて泣くハリカ。押し付けないアノネの愛情は、実の母以上に母的なるものだ。

 

 家に戻った二人を「あ、おかえんなさい」「おかえんなさい~」と、持本と青羽が迎えてくれる。家がある家族が迎えてくれる。まさしくこれぞ家族だ。4人で囲む朝食の間、ハリカはおしゃべりが止まらない。みな食べながら笑いながら聞いてくれる。彦星君が生きていることも、「家族」と一緒の食卓も、嬉しくてたまらないのだ。

 

 朝食後、アノネに前髪を切ってもらっているうちにハリカは寝てしまう。「寝ちゃった」。くくくと笑うアノネ。まるで子どもだ。電池が切れたらすうっと静かになる。ほほえましい。それを見て青羽がぼそりと「私もこの頃からそうでした。生きるのに必死でバタバタしてばっかりで。大人になったら変わるかなって思ってたけど、相変わらずバタバタバタバタ。生きるのは難しいです」

 

持本は言う。「思い残すこととか欲しいですよね。思い残すことがあるって、それが生きる意味なのかな、って。あとできれば、普通に、人からほめられたいです」

 

余命半年の持本にしてみれば、思い残すこと=生きた証=自分が生きてきた意味、が欲しいところだろう。だがアノネはさらりと「焼うどんおいしかったですよ」。ぷっと噴き出した持本は「焼うどんですか。僕の生きる意味って」。アノネは息をついてソファに腰かけると、しみじみと言う。

 

生きなくたっていいじゃない。暮らせば。暮らしましょうよ」

 

 生きるのが難しいとか、生きる意味だとか、そんな難しいことを考えなくたっていいじゃないか。ただ暮らせばいい、暮らしていくこと、日々を重ねることこそが大事じゃないか。日々を暮らす生活に、意味とか意義とかを大仰に考える必要はないんじゃないか。

 

それは、ハリカが彦星を待ったのでも同じだ。そこにいること何の意味もなくても、たとえ何事も成さなくても、ただそこに存在して、そこにいるだけでいいじゃないか。「いる」ということ、それこそが大事なのだ。現代人はみんな、自意識の罠にはまっている。意味や意義を考えすぎだ。それよりも、ただ、そこにいること、暮らすこと、その連続した延長に「人生」はある。

 

チェーホフは「三人姉妹」の幕切れに、「生きていかなければ」と主人公に語らせた。どんなに絶望的な出来事が起ころうと、思い通りの人生でなかろうと、それでも生きていかなければ、と。

 

アノネは言う。生きましょうではなく、暮らしましょう、と。どんな苦境にあろうと、生きる意味が見いだせなかろうとご飯を作り、食べ、笑い、眠り、そうして日々を暮らしていこう。そうすることが、唯一、悲劇的な運命に逆らう術なのだと、言わんばかりに。アノネのこの思考は、脚本の坂元裕二が現代人に投げかけたい疑問なのではないか。

 

(2018・2・12、元沢賀南子執筆)

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