正論には、その人の「気持ち」が入っていないよね

正論てさ
誰でも言える


分かるよ分かる
でも
それ言われたら
太刀打ち出来ないじゃん
私の気持ちはどうなっちゃうの。。。

というシーンがあった。

"太刀打ち出来ない"
と思う時点で
私は軽く張り合おうとしていた心理があるのだけど。

正論や正しさは
エネルギーが強い
と、私は感じていて
それをバン!!とつき出されると

身体が緊張し萎縮する。

私の受け取り方の問題でもあるのだけど
まあ、
過去 私にとって影響力が強かった人を
そこに投影するのよね

私の中に何もなければ

あなたはそう言う考えなのね。

で終る

相手に対して
期待をしていたからダメージがあった。

分かってもらいたい
共感して欲しい
慰めて欲しい

そんな期待があったのだと気づく。
依存的であるな、と思うのだけど
それが悪い事ではない

身体の緊張を静かに感じて
感じて
感じて
出てきた気持ちを
わたしが感じてあげる

涙が出るよね

一番分かってもらいたい相手は自分なのに
今までは
肝心の自分が、誰かに委ねてるんだもん

もうそれ、止める。

やっぱりね
人と接することで自分を知り
成長出来るのよ

相手もまたしかり

近しいひとにこそ
そのひとの言っている言葉の背景を想像して
言葉を返そうと思った。

反動で出てくる言葉は
自分の中の怒りや悲しみだったりするからね。

一呼吸置く

だ。