「おふひを(負う火を)」。「おふほを(負う炎を)」の可能性もありますが、意味は変わりません。「おふひを(負う火を)→おほ」は、(自分の)背後からの光を…(それが欲しい。それによって前の何かがはっきり見える)、という表現。すなわち、ぼんやりとしていてなにかが明瞭に把握できない状態にあることを表現します。
「朝霧のおほに相見し人ゆゑに命死ぬべく恋ひわたるかも」(万599:いつ出逢ったのか、明瞭に印象に残らないような人だったのに…)。
それが人の判断や人が抱いた印象であれば、明確に把握されない、どうでもいいような、といった意味になる。
「他人(ひと)こそはおほ(意保)にも言はめ我がここだ偲(しの)ふ川原を標(しめ)ゆふなゆめ」(万1252:他人は取るに足らないどうでもいいようなものとして言うだろうが)。
「…吹く風も和(のど)には吹かず 立つ波も踈(おほに)は立たず…」(万3335:特に印象を残さない、ありきたりな立ち方はせず…)。
「おほならばかもかもせむをかしこみと振りたき袖をしのびてあるかも」(万965:あなたが取るに足らない、ありきたりな、どうでもよい人なら…(尊い大切な人だから袖が振れないのです))。
「己(おの)が命(を)をおほ(於保)にな思(おも)ひそ庭(には)に立ち笑(ゑ)ますがからに駒(こま)にあふものを」(万3535:この三句以下は、笑むだけで乗って彼方へいける駒に逢う(チャンスがやってくる)、ということでしょう)。
この語が二音重なった「おほおほ」、その「お」が一音無音化した「おほほ」を語幹とする「おほほし」、一音濁音化した「おぼほし」といったシク活用形容詞もあります。
「雲間よりさ渡る月のおほほしく(於保保思久)…」(満2450)。「海女(あま)をとめ漁(いざり)たく火のおぼほしく(於煩保之久)…」(万3899)。
この語は「おぼ」と濁音化もしたでしょう。それによる「おぼめき」という動詞(さらには動詞の「おぼめかし」形容詞の「おぼめかし」)、それが二音重なった「おぼおぼ」という語、それを語幹とする「おぼおぼし」というシク活用形容詞もあります。いづれも、明瞭に判断のつかない状態になったり(したり)、そういう状態であったりします。