17年野宿を経験した北区赤羽のばあちゃん91歳を取材しました。

口は悪いし喧嘩も多い。

でも面倒見がよくて、弁当を配り続ける。

それは「仲間」だから。

野宿の人を決して下にはみていない。

その生き様に人同士の関係のあり方を考えさせられます。

 

ばあちゃん、ちゃりさん、くそばばあ—。

 

東京都北区赤羽の女性(91)には、いろいろな呼び方がある。

夫に先立たれ、一人息子が自立すると寂しくて、野宿生活を17年。

アパートに住む今、公園などで暮らす人たちを「仲間」と呼び、時に弁当を配り、さりげなく支える。

だから、こうも呼ばれる。

「赤羽のマリア」と。(中村真暁、写真も)

 

◆誰にもみとられず…死んでいった野宿の人は「仲間」

子ども食堂でおかずを取り分けるばあちゃん(右)と橋本弥寿子さん=東京都北区で

 鶏ひき肉を炒(い)り煮する甘塩っぱい香りが漂う、赤羽の雑居ビルの一室。

「いらっしゃい」。

小柄なばあちゃんが来る人に話しかける。

月2回、困窮する人に低額や無償で弁当を提供する「のらねこ子ども食堂 かあさんの夕めし屋」。年金生活の人ら大人も目立つ。

 

 この日のメニューは葉物野菜を添えた鶏そぼろ丼。

近くで野宿の男性(58)が、食べながら「ちゃりさん優しいから、公園で誰にもみとられずに死んでいった野宿の人には、線香と花をあげんだ」と言う。

「かわいそうだからな。仲間だからな」と、ばあちゃんがしんみり話す。

 

◆空き缶を自転車に積んで売るから「ちゃりさん」

 

 埼玉県出身。結婚して赤羽に住み、50代で病の夫を亡くした。

一人息子が高卒後に家を出ると、アパートで独り過ごす寂しさに耐えられず、1992年ごろから公園で暮らすようになった。

集めた空き缶を売り、生活費を賄った。

「ちゃりさん」と呼ばれるのは、缶を自転車に積んでいたから。

 

 野宿生活をやめたのは2009年ごろ。

人の勧めで生活保護を利用し、再び赤羽でアパート暮らしを始めた。

おにぎりや、筋子とご飯だけの弁当を作っては、仲間たちに配った。

ビルの間や公園の茂み、終電後の駅などを回った。

野宿の「仲間」に配るため、子ども食堂で受け取った弁当を運ぶばあちゃん=東京都北区で

 

 当時、近所で橋本弥寿子(やすこ)さん(71)が営む食堂に顔を出すようになった。たまには公園で暮らす仲間たちを連れて。

ばあちゃんと仲良くなった橋本さんは一緒に街へ。

そして「景色に溶け込んで気づけなかった野宿の人らが、私たちと同じ一人の人として見えてきた」

2人は知人と共に19年から月1度、夜のおにぎり配りを始めた。

 

◆「一戦交えるが、面倒見がいい」

 

 生活困窮者が増えた新型コロナウイルス禍の21年正月、男性が公園で亡くなった。「おにぎりだけじゃ、救えない」。

食堂の閉店時間を早めて受け取った都の感染対策の協力金を基に、毎日無償で弁当を配った。
 食堂は昨年閉まったが、その後場所を変えて子ども食堂で復活した。

ばあちゃんは今も来る。「手伝えよ」。

利用者にぶっきらぼうに声をかけ

「くそばばあ」「うるさいばばあ」と呼ばれることも。

「一戦交えるが、面倒見がいい」と、ある利用者は言う。

 外が暗くなった。

ばあちゃんは鶏そぼろ丼をいくつか詰めた袋を手押し車に載せ、食堂を後にした。「あした、仲間に配るんだ」