弱者心理。

 

統計的にみると、

日本のジニ係数は年々大きくなっているから、

格差は広がっていると言えるだろう。

 

まあ、統計を見なくても

バンバン上がる生活必需品に対して、

それに対して全く追いつかない賃金。

 

これのもたらす帰結は、

貧困の増大であろうことは馬鹿の僕でもわかる。

 

かかる状況にも関わらず、

社会主義的主張が支持を拡大し得ないというのは、

実は奇妙なことである。

 

 

余計なことしかしない自民党やら、

ましてや、

バリバリの新自由主義の維新よりも、

 

れいわ新選組の支持率はなお低い・・・。

(NHK(大本営)発表なので統計自体、少し怪しいが)

 

数の上では圧倒しているはずの貧困層が

なぜ、社会主義的主張をするものを応援しないのか?

 

・・・そこに私は、

人の哀しい性のような物を感じるのだ。

 

ある日のれいわ新選組の街頭演説で、

 

山本太郎をめちゃくちゃ、

ヤジリ倒している奴がいた。

 

そいつは明らかに金持ちには見えず、

(低)賃金労働者、

あるいは、生活保護者かもしれないような風貌の人物が、

 

「成功者を懲罰するな!」という趣旨の話を

延々していた・・・。

(負担が公平だから消費税は正しい!

 という主張)

 

私は、

何も山本をヤジリ倒すのがオカシイと

言っているのではない。

 

竹中平蔵や橋下氏的な人(大金持ちや権力者)が、

山本をヤジリ倒しているというのなら、

別に不思議はなく、

 

そういう考え方もあるよね。

 

と、思うだけである。

(金持ちは山本の演説になど来ない。

 稼ぐか、遊ぶかしているだろう)

 

けれども、どう考えても、

山本の主張がいれられた方が

最も得すると思えるような人たちが、

 

山本を最も痛烈に叩いているのである。

 

彼らが誰かに金で雇われた「工作員的な人」であるならば、

まだしも罪は軽い。

 

・・・しかし、(おそらく)そうではない。

 

「弱いものが、更に弱いものを叩く」

 

 

低賃金労働者は、失業者を叩き、

失業者は、障害者を叩き、

障害者は、重度障害者を叩く。

 

それは何故か?

 

そいつが弱いからである。

 

彼らが、

弱者を助ける政策に加担することを嫌う

根本的なわけは、

 

「自分は弱者ではない!」という風に

思い込みたいからであり、

 

弱者を助ける政策を支持するのは、

お前が弱者だからだろ・・・。

 

と言われたくない、笑われたくない。

 

自分が経済的弱者であることを認めたくない。

 

全く馬鹿げているけれども、

人間にはそういう哀しい性があるような気がする。

 

これと裏返しの現象は、

維新の会の街頭演説会にも現れている。

 

どうみても「金持ちに見えない人たち」が、

歓声を上げて、彼らを応援しているのだから。

 

維新的政策が実施されると

真っ先に割を喰うであろう層の人々が、

 

彼らの政策を、

熱狂的に支持するという奇妙な現象・・・。

 

強者に加担することで、

あたかも、自らも強者の側になったような

錯覚を味わえる・・・。

 

ファシズム的全体主義が、

多くの場合、弱者の支持を受けるのは、

 

暴力をふるう人間と、

自己を同一化することで、

快感を得られるからである。

 

自分を弱者だと認めたくない。

自分を強者と思い込みたい。

 

という心理。

 

人の能力は生まれながらに平等ではない。

(能力には生まれながらの差がある)

 

この最も平易な事実を認めなくないからこそ、

人は社会主義に反対するのだ。

 

社会主義者は、

救うべき対象に殴られながら、

社会主義を叫ばねばならないという、

 

非常に奇妙な状況に直面する。

 

この仕事の究極の困難さはそこに

存するのだろうと思う。

 

弱者と強者の心理。

 

PS

ちょっと前に流行った、この映画・・・。

 

 

有村かすみ、可愛い。(ことは関係ない😂)

 

この映画を見ている人は、大抵が

「ビリからでもやれる!」「私にもできる!」

という希望をインストールされるようである。

 

・・・これはこれですばらしいとは思うのだが。

 

ここで注意しなければならないことは、

彼女が通っているのが屈指の進学校であることだ。

 

彼女は勉強ができなかったのではなく、

してこなかったのである。

 

 

しないことと、できないことの違い。

 

一見、にているようで、

明らかに違うふたつの概念・・・。

 

誰でもが出来る!

というのは、一つの幻想である。

 

希望とは幻想であり、

幻想とは希望である。

 

・・・ユートピア(理想郷)とは

「ドコにも存在しない場所」である。

 

人は希望(幻想)がなければ生きられないが、

社会制度が幻想(希望)を追い求めるとき、

結果は大抵、悲惨である。