僕はカタツムリだ。

 

僕はカタツムリだ。

 

畢竟、問題は「バッファー」なのだよ。

 

涙と一緒にパンを食べた者でなければ、

人生の本当の味はわからない。

(ゲーテ)

 

僕のショウペンハウアー流の処世術は、

およそ全ての問題を遠ざけている。

(酒もタバコも女もしない、

 ほんのちょっぴり博打をするだけ)

 

食に困ったこともなければ、

金に困ったこともない。

 

緩衝材が多すぎること。

 

私は「羊水の中で暮らす人間」なのだよ。

 

・・・生きているように見えるが、

本質的に生きているわけではない人間。

 

生活無能力者、無為。

 

全ての結論にたどりついているけれども、

何も始まっていない者。

 

いっそ、全財産をルーレットの赤黒にでも

賭けてみたらどうだ!?

 

バッファがなくなりゃ、

次に賭けるものはその身ひとつ。

 

全くビビットに生きていける。

 

日々の糧を得るために、

日々の糧を得るためにだけ働く。

 

喰うためにだけ働く。

 

なんてシンプルで素晴らしい生き方だろう。

 

僕は見たこともない、感じたこともない

貧困、「19世紀型の貧困」に「憧れている」。

 

「貧困を憎む」

 

なんてことを言ってみるわけだが、

 

其の実、本心はどうだ。

 

困窮と倦怠は同時に襲っては来ない。

 

喰うことに汲々としている人間は、

退屈に倦まない。

 

今、私は明らかに倦んでいる。

 

ようは「パンの問題」じゃないのだ。

「菓子パンの問題」なのだ。

 

めちゃくちゃにアホらしい。

 

人は相当の困窮には耐えられるが、

退屈には耐えられない。

 

実と仮、真と偽、カタツムリとナメクジ・・・・。

 

生傷を負いたい。

腕や脚を失うのはどんな感じなのだろう。

 

家族も財産も無く生きるとは

どんな感じなんだろう。

 

・・・さりとて、本当にそうなったらどうなるんだろう。

 

サイコロは一が出ても、六が出ても、

結局、同じじゃないか。

 

一が出た盤面と六が出た盤面があるだけだ。

 

全くアホらしいほどの簡素な結論。

 

 

汝が深淵を覗く時、深淵も又汝を覗く。

竜を狩るものは、竜にならねばならぬ。

(ニーチェ)

 

生きることの本質は「痛み」である。

傷の痛みを知りたければ、

傷を負わなければならない。


痛みのない者は、生きているとは言えない。

 

機械は永久に生を理解することはないだろう。