中島敦は34で亡くなった。

 

そう考えると、私のような無学、文盲、無才、無芸、大食

なる者がダラダラと毎日を生きていることが

すごく無意味なことのように感じられる。

 

まあ、そんなことを考えること自体、

自意識過剰である。凡人が自分の凡庸性に悩むという

のは最もくだらない行為である。

 

とはいえ、できれば昨日よりは、今日、明日という風に

何かしら賢くならないかしらと思いながらも、

実際はダラダラとした過ごし方から抜けられない。

 

まあ、それでもいいだろう。

 

生きてる意味て何かしら・・・?

その答えはこんなことかもしれない。

 

私は毎朝、5時頃ジョギングをしている。

 

四季折々に表情を変える日の出の風景。

これは結局どんな名画にも及ばないように思う。

(別にそう多くの名画を見たわけでもないが)

 

なんと表現すればいいのか?

 

とにかく漠然といいのである。

 

あのなんとも言えない色。

 

そして、吹き抜ける風。

 

人のいない街。

 

全てがいい。

 

こうしたものを表現できる人が結局、真の意味での芸術家

なんだろうね。

 

そうでない私にはできないが・・・。

 

人が生きている意味とは、毎朝この風景をみること

ではないか?

と思う。

 

それなら私のような凡人でもできる。

 

ソールドン・ワイルダーの戯曲。

『わが町』より。

 

時を刻む時計。

ママの植えたひまわり。

コーヒーと白いパン。

アイロンをかけたドレス。

あったかいお風呂。

そして、眠りと目覚め。

世界はこんなに素晴らしいって、なぜ気付かなかったの?

生きている間にこのことに気付いた人っているのかしら?

この素晴らしさに。

 

いや、でも聖者か詩人ならあるいは・・・。

 

PS

夕日もまた美しい。

 

朝に登ったおひさまは、夜には沈む。

そして翌日また登る。

 

人が生きるということは、

結局たったこれだけのことである。

 

生きるとは、素晴らしいことである。

 

人は美しい物を見るために生きている。

そして、目に入るものは全てがそれぞれの美しさを

持っているのだ。

 

ようは観念の問題である。