別の方のブログのコメント欄にも書いたのですが、僕が住んでいた会衆はとても田舎で地元の長老兄弟が一人であれやこれやされていた会衆だったので、よく必要の大きな所を希望した兄弟姉妹達がやってきました。同時によく特別開拓者(※協会から少しの生活費を貰いながらあちこちの会衆で開拓奉仕をする方々)の兄弟姉妹達も来た会衆でもありました。特別開拓者の兄弟姉妹達は時期が過ぎると別の任命地に旅立っていくのですが、必要の大きな所で来た兄弟姉妹達も時期が過ぎると別の必要の大きな所へ旅立っていくケースが多かったです(笑)。

 

なんだろう、ここは必要の大きな所ではなかったのだろうか・・・。といつも思いながら見送っていました。でもパートナーとの相性だったり経済的な問題だったり色々あるのでしょうね。そうそう!必要の大きな所で来た兄弟姉妹で恋愛関係になって結婚して去っていく兄弟姉妹もいました(*´艸`*)。めでたい事でありますが、もちろんパートナーの方は相方がいなくなるので、心から祝福は( (」゚O゚)」デキナイヨ-)・・・って方もいらっしゃいましたね。

 

ものみの塔の組織は若い方々に特権と言うモノを追い求めるような記事をよく書いていましたし、若い兄弟たちも、ホールや王国会館の建設だったり、必要の大きな場所での開拓奉仕だったり、組織にとっては大切な奉仕活動(無料で動いてくれる便利な労働力・・・ゲフンゲフン)として活動されていたのだと思うのですが、でもそうやって活動されていた方々の中にはとても楽しい思い出として残っている部分もあるのだと思います。

 

僕自身も会衆に来てくださった兄弟姉妹達と楽しい時間を過ごせたのであまり嫌な思い出とかもありません。でもそうやってあちこちに移動していく兄弟姉妹達も良い事も悪い事も含めて色々な事があったんだろうなぁって思います。でも経験などで語る場面では、ちょっと大変な事から・・・でもエホバはしっかり見ていてくださって、こんな祝福がありました!みたいなのが多く良い部分しか強調されなかったりするので、そういうのに感化されてしまった部分(僕自身も含めて)もあるのかなぁと思ったりします。

 

今の集会でははどうか知りませんがね・・・...("= =) トオイメ目。

現役、元問わず、エホバの証人、

特に二世は自己肯定感がストップ安状態!

逆に自己承認欲求はストップ高状態!

 

と、ナオさんがブログで書いているのを見て思わず笑ってしまいましたが・・・。確かにその通りです(笑)。そんなこんなでブログを書いている僕自身も承認欲求の塊ですね。でも自分は屑ではないと思っています(*´艸`*)。

 

エホバの証人二世として生きてきた上で小さい頃から愛されるためにエホバへの信仰を条件を突きつけられてきた子は、自分は条件付けで愛されているという感覚が強くなると、自己肯定感を上手に育てることが出来なかった子供達も存在すると思います。自己肯定感と自己承認欲求は表裏一体なので、どちらが欠けても上手に自分の心が育っていかない場合もあるのです。

 

特に鞭世代で育った子供たちは叩かれることを恐れるあまり、本来の自分の欲求を素直に伝えることを学ばずに、親が聞いて喜ぶ返答をするようになります(ちなみに我が妹はこの例に当てはまりません。中学から徹底的に親とぶつかり合いました。高校の時に集会に彼氏を連れて行った位の強者です(^▽^;)。こういう風に育つ子も居ますので、同じ親元で育っても同じように育つわけではなく、一概に全ての子が親の期待に応えると思う訳ではないです。)。すると自分が本来持っていた欲求を育てることが出来ずに自我という枠組みがとても曖昧になるのです。枠組みが曖昧になるというのは他者(親とか)の気持ちが容易に自分の気持ちに侵入してきて、一体どっちが自分の本来の気持ちなのかが分からなくなります。

 

他人の期待に応えるのが得意な子供は一見大人びていて、社会適応していそうな感じもしますが、その実、心の中では本当の自分を見て欲しいと心の中で叫ぶのです。それがいわゆるアダルトチルドレンと呼ばれる人達でもあります(だからと言って僕は1世の親を批判している訳ではありません。それぞれの家庭の事情の中で子育てをしなければいけない部分がありますからね。)

 

我が子を見ていると分かるのですが、正直に自分の欲求を伝える術を学んでいます。それは親子関係がしっかりしていて、自分の気持ちを聞いてくれることが子供にも分かっているからです。そして親が気持ちを受け止めた上で子供に”出来る”、”出来ない”を伝えます。出来ない場合でも気持ちの切り替えが出来るので、その旨了解して分かったとなります。それが多分本当の意味での親子関係なのかもしれません。

 

我が子は例えば部活で嫌なことがあって腹を立てた時にストーレートに親に気持ちをぶつけてきます。そして親は複数の視点から我が子に助言します。その上で、我が子の気持ちも分かるよと受け止めます。その繰り返しの中で子供たちは感情の切り替えや相手の立場に立った考え方、そして自分の気持ちの処理方法を学んでいきます。感情の処理が出来るというのはとても大事です。

 

僕は親になって子供と接することで、なるほどなぁと思うことが多々あります。そして児童発達支援もしていますので、色々な親子関係を見ていく上で学ぶことも多いです。大人になってからの承認欲求を満たすという点では、もちろん個別性もありますので、それは何とも言えませんが、そこには人が介在するのかなと考えています。

 

結婚することで満たされる人もいます。しかし結婚するのも相手がいないと無理です。そして自分の事をきちんと受け止めてくれる相手でないといけません。だから結婚までいかなくても自分を受け止めてくれる恋人でもいいですし、友人でもいいと思います。そういう人と人との相互作用を通じて、承認欲求が満たされていく部分もあります。だからどんな自分でも、ありのままの自分を受け入れてくれる相手って大事ですよって思います。(*´艸`*)。

 

そういえば今日は立冬ですね。でもこっちは暖かいι(´Д`υ)チョットアチィー

グアテマラで一人の姉妹が殺されて、一人の姉妹が重症を負うという痛ましい事件がありました。この件に関しては、様々なブログで取り上げられて、それぞれの考えが述べられていますので、僕が改めて追加することはないかなと思います。それでもちょっとだけ自分の気持を書きたくて今回ブログにしました。

 

僕自身もバリバリのエホバの証人の現役時代に語学留学で海外に2ヶ月ほど過ごした経験があり、その場所でエホバの証人の会衆とも交わりを持ちました。アメブロにいるたくさんの元JWの方々も海外でエホバの証人と交わった経験を持ってらっしゃると思います。僕の場合は実際に海外に行く前から、こことは違う文化に触れることを夢見ていました。なぜそれほど海外に憧れていたのかは今となっては自分自身でも分かりません(苦笑)。ただ当時はきっと若さも勢いもあり、あふれたエネルギーがここではないどこかに行きたい想いをずっと抱えさせたのかもしれません。当時は雑誌とか本でもギレアデ宣教学校の経験を読むのが好きでした(真面目だったなぁ)。

 

実際に海外の会衆でエホバの証人として親しく交わることが出来る経験というのはとても大きなものでした。そして兄弟姉妹たちがとても優しくて暖かくて、心の中が何か満たされた記憶があります。そういうものに触れると、あぁまた海外に行きたいなぁと思う自分がいるのです。僕の場合は、一度海外に行くと、日本はとても息苦しい感じもしました。僕の行った先ではでは"もっと自分の意見を言えよ!""自分の考えを話してごらんよ!"という感じで、どんどん自分を出すことを求められました。それも別の意味で居心地が良かったのかもしれません。

 

そして当時の日記にはこう書いてあります。

 

「そこは日本よりのんびりした時間が流れている。すごくのんびりしていて暖かい。とてもいい時間が。来てよかった。今日は心からそう思う。旅行はいつでも来れる。けれど、この時間は今日しか味わえない。今、この時にしか味わえない。それはもしかすると、とても大切で、かけがえのないものだ。僕は心からそう思った。」

 

日本から離れた異文化の空間の中に自分の生きがいを見出すのは若さゆえの特権なのかもしれず、それを求めて外に飛び出していく気持ちも理解できます。もちろん海外に行くのには危険も伴いますが、それを分かっていても飛び出していこうとするエネルギーが若者にはあるのかもしれません。僕もかつてはそうだったから。

 

僕の日記の最後の方にはこうも書いてあります。

 

Life is for loving,Love is for giving

 

きっと亡くなった姉妹もこの想いで海外で熱心に働かれていたのではないかとも思います。

 

ご冥福をお祈りします。

お疲れ様です。

 

週末は上の子(中学生)のバドミントン試合でした。

 

団体戦1試合目に出て勝利!2試合目は試合に出ないで敗退!うちの子が出ていれば勝てた試合だと言われました(笑)。

 

ダブルスは1試合目で敗退。相手が強すぎたみたいです。パートナーも新人で動けなかったとぼやいていました。

 

シングルスは1試合目は21-4で余裕の勝利。かなり手を抜いた感じでも勝てていました。とられた4点もスマッシュの失敗が3つくらい・・・おいおい・・・。肝心なところで入らないのはいつものことです(笑)。

 

2試合目はレベルが一緒くらいの子で15-21で負けました。かなり悔しがっていましたが、相手はダブルスで準優勝して勢いに乗っていたみたいで身体も動くし、気分も高揚していたみたいです。まぁスポーツは勢いが大事ですよね。

 

でも負けた後に悔しかったのか、また練習すると言っていました。かなりうまくなっているのです。その上で相手も練習するからうまくなるのですが、そうやって切磋琢磨していくのを見ると父ちゃんとてもうらやましいです。父ちゃんも昔は陸上がしたかったなぁと。走るのが好きなので。なので、

 

って、今、父ちゃんもランニングしています。12月にハーフに出る予定です。何歳になっても挑戦する心を忘れたくはないですね。ちなみに10kmは余裕で20kmくらいはなんとか走れるようになりました。

 

ただ父ちゃん走りすぎて足を痛めました・・・(;´・ω・)。

左足の違和感がとれませ~ん(´;ω;`)。困った困った。

 

 

今日は行った先の事業所で重度の自閉症の女の子がいたのですが、突然僕の膝の上にポンと座ってボールペンでグルグル書き始めました。支援員の人達が驚いて、全然他人に関心がなかったので他人(僕)の膝の上に乗ったのは初めてだったのと、ボールペンで何かを書いたのも初めてだったと驚いていました。う~ん、自閉症の子に好かれる何かがあったのでしょうか(笑)。なんかそういうのが結構あって人見知りする子でも泣かなかったりしてくれて、僕の中にいる小さな子供を見つけて遊ぼうと言ってくれているのかもしれないです(笑)。

 

ではでは、あと少し頑張っていきましょう(* ̄0 ̄)/ オゥッ!!

おはようございます。

 

今朝はこちらも良い天気です。

 

上の子は今日は中学校の学習発表会で劇をするそうです。役は?と聞くと、やる気のないダメダメ人間を演じると言っていました。

 

「普段の自分じゃん!」と僕が言うと、あはははははと笑っていました。

 

上の子はとにかくやる気が中々出ない、エンジンのかかりが遅い子です。

劇も見に行きたいのですが、10:15~と言っていたので見れないですね。残念。

 

昨日は新しいバドミントンのラケットを買ってご満悦でした。

ヨネックスでもバボラでもないゴーセンを買ってきましたが、その名も 

 

INFERNO インフェルノ

 

ガンダムかよ!って思わず心の中で突っ込みました。

 

 

こんな感じのラケットですが、これも2万円前後のラケットで割と高いやつです。

以前は1万円前後のやつを使っていたのですが、最近は上手になったのでこういう高いやつがいいみたいです。

 

そらね、本人にしてみれば1万くらいのラケットより2万のラケットの方が

 

 

って感じになってきているのでしょうけど、

ザクからグフになって機体の性能がアップすると戦闘力もアップするのかなと思ったりしています(ホントか?)。

 

 

下の子は昨日は帰るとぐーすか寝ていました。夜の8時ごろにむくっと起き上がってきて、

 

「あれ?もう夜なんだ」とカワ(・∀・)イイ!!声で起きてきました。

それにもあはははははと笑ってしまいました。

 

昨日は下の子は妻と小学校の見学に行きました。入学前に小学校を自由に見学できるというのがあるのですが、普通級と支援級に行ってみてきたそうですが、支援級では女の先生が子供に大きな声をあげていたみたいで、うちの妻も「情緒が不安定な子にあの対応でいいのかな」と言っていました。ただ先生方も色々いるみたいで、専門の先生ばかりではないから感情的になったり病んでしまう先生も多いとか聞きました。

 

どこの世界もストレスが多いですよね。

 

下の子も保育園ではなく小学校の見学で普段と違う感じだったので疲れて寝てしまったのかもしれないです。あぁもう来年の4月なんてあっという間に来そうですね(;´・ω・)。

 

では今日も一日頑張っていきましょう(* ̄0 ̄)/ オゥッ!!

おはようございます。

 

下の子の発熱も無事に下がりまして、元気になりました。昨日はハロウィンだったのでミニオンの服を着て、叔母からお菓子をもらって嬉しそうに食べていました。

 

上の子がバドミントンのラケットを頭に当ててしまった子のたんこぶは無事に腫れが引いたみたいで、上の子もホッとして夜の練習に行ったらラケットを折って帰ってきました(笑)。昨日たんこぶが出来るくらいの衝撃を与えたので、どこかにひびが入っていたのでしょうね。

 

「お父さん!2ヶ月で2万円が消えた!」

 

と叫んでいました。誕生日プレゼントで買ったのでちょっといいラケットだったのですが折れてしまえば唯の棒です(笑)。まぁ仕方がない。新人戦が今週末なので慌てて購入予定ですびっくり

 

昨日は難病支援ネットワーク研修に参加してきましたが、正直あまり楽しい研修ではありませんでした。制度概要の説明に終始して主題である難病の方の具体的な地域での共生というのがあまり出てきませんでした。大学教授であれば関わっている事例より、地域で共生している様子をスライドなどで示してほしかったですが、文字の羅列は制度の内容ばかりでちょっと・・・という感じでした。アンケートは最低ランクで付けました。辛い評価をした方が読んでもらって今後に生かしてもらえるでしょう。

 

僕が担当した難病のケースはいくつかありますが、あるクローン病(大腸及び小腸の粘膜に慢性の炎症または潰瘍をひきおこす原因不明の疾患の総称を炎症性腸疾患)の方がいて、その方の治療について聞きながら、就労支援の方向性を話し合いました。レミケードという薬で点滴治療をしていたのですが、点滴当初は調子がいいのですが、薬が弱くなってくると下痢が続いたりと調子を崩してしまう感じでした。どうしても働いている最中にトイレに籠ってしまうと迷惑になるという事で、病気に理解のある場所で働きたいという事で支援の調整しました。

 

障害や病気の理解がある企業での就職と言う事で落ち着きましたが、難病と言っても外見的には何もない訳で理解がなかなか難しい現状もあります。症状とそれに伴う生活の状況、そしてそこに具体的な支援をどのようにのせていくか考えて行かないといけません。地域での共生という視点から見ていくと、病気の理解もそうですが、その人が持っている力を発揮できるような場の提供も必要です。そういう具体像が見えてこないと共生と言っても制度の狭間に隠れてしまって肝心なモノが見えなくなってしまいます。共生と言う言葉は聴こえが良いですが、とても曖昧な言葉でもあります。そこには複雑に絡み合う人間の感情と生というものがあることを忘れてはいけないかなとも思います。

 

宗教は日常の中で地域と共生して生きている文化や、地域との共生を拒否して孤高に生きる文化があります。前者は冠婚葬祭に伴う儀式的なものだったり、後者は原理主義的なものだったりします。ハロウィンは古代ケルト人が悪霊を追い払う際の儀式的なものが変化したものですが、これはある意味では宗教的なモノが失われて日常的な文化へと変化した冠婚葬祭的なものなのかもしれません。トリック オア トリート!お菓子をくれないといたずらしちゃうぞ!って子供たちが楽しんで笑顔になれば、そこに宗教などなくてもちょっとした幸せがあるのだと思います。そういう幸せの積み重ねが、笑顔の連鎖を生んでいくといいなぁって思います。

 


僕の笑顔の素でした😍


それでは今日も頑張っていきましょう(* ̄0 ̄)/ オゥッ!!

おはようございます。

 

昨日は突然の下の子の発熱と、上の子がバドミントンしていたら友達の頭にラケットを間違ってぶつけてしまってたんこぶを作ってしまったのと

 

なんだか帰ってからバタバタの一日でした。

 

幸い下の子は熱が出ても割と元気で僕が作った🍙を食べたのですが、いつもと違い熱が38度超えなので布団に入ってすぐに寝てしまいました。

 

上の子はぶつけたことにショックを受けて、いろいろくよくよしていました。まぁわざとじゃないからそこはしょうがないとは言いましたが。

 

トラブルは重なる日は重なるねぇと妻とぼやいていました。

 

 

さてさて

 

昨日は某発達支援の事業所に行って話をしてきましたが、ある親御さんの話になり、そこの事業所とその親御さんの関係があまり良くない話をしました。

 

子供の発達についてですが、親はずっと同じ課題を繰り返していることに疑問を持っていたそうです。しかし課題は出来ないから繰り返されるわけで、出来たらその上の課題に行きます。そのことを上手に説明できず、お互いに不信感みたいなのが生まれている感じだそうです。

 

そこのご家族には僕からも、親御さんから”教えても次の日には抜けてしまう。何度教えても身に付かない”という相談を受けていました。僕は”発達にはその子なりの段階があって、その段階に来ないといくら教えても身に付かないですよ”とも伝えました。”だから辛抱強く繰り返してください、ある日ひょっと出来るようになるかもしれません”、とも伝えました。子供たちは確実に成長しています。でもその成長が目には見えない部分も多々あります。だから親は辛抱強くある必要もあります。

 

と、言いながら我が子になると焦るのは僕も一緒。我が子を想う親の心に応えていきたいなぁとも思いました。

 

そういえば、僕もエホバの証人二世としては出来が悪い人間だったと思います。周りの子と比較すると伝道者、バプテスマを受けるのもすごく遅かったです。ただ当時の僕の会衆の子供たちはエホバに信仰と言うよりも親の期待に応えようとして伝道者やバプテスマになった人が多かったのかなかと。だから皆、途中で排斥等で脱落していったのかなとも考えたりします。同級生で順調に何もなくいったのは長老夫妻の娘さん姉妹くらいかな。でもそこの長男兄弟は排斥(復帰しましたが)されたし、なかなか子供を教えるという意味では難しい部分があったのかもしれません。当時の会衆の親同士の世間話では、そういう子供たちの話が結構されていたのかもしれませんね。

 

ではでは、今日も頑張っていきましょう(* ̄0 ̄)/ オゥッ!!

おはようございます。

 

寒くなってきましたね。まりすけ、朝のウォーキングを兼ねながら出勤しています。

身体に季節を感じながら生きていくことの大切さ、日々過ぎゆく時間を感じながら生きていくことの大切さを考えます。

 

先日、ある発達に特性を抱えた子供さんのお宅にお邪魔して、色々お話してきました。その中でアンパンマンの玩具(所謂ガシャポン玩具)を見せてくれたのですが、最近のガシャポンは精巧に出来ていますね。バイキンUFOのボタンを押したらパンチが出て、アンパンマン号のスイッチを押したら鼻からパンチが出ました。一緒にそれでアンパンマンごっこをして遊びましたが、もちろん僕がバイキンマンでやられやくです(笑)。

 

アンパーンチでやられて、バイバイキーンと定番のごっこ遊びですが、それでもやっつけると嬉しそうに笑っていました。とても笑顔の素敵なお子さんでしたね。言葉が不明瞭なのと、身体の運動能力が少し幼い感じです。全体の集団が大きくなると自分を出せない子みたいなので小集団で思いっきり遊んで、自分と言う存在に注目してもらえたら、きっと自分に自信を付けて全体的な発達が促されるのではないかなぁと思いました。

 

子供たちが大きくなるのはあっという間で、僕らは年を取っていくばかりですが、季節の移り変わりと共に、子供たちの成長を見つめて行く幸せな部分もあります。もちろんかなりリアルが忙しいのは忙しいですが(笑)。

 

そういえば、先日から図書館で借りてきたユダヤ教の基礎本を読んだりしています。眠る前に15分くらいですが、今はトーラーのところまで読みました。バリバリ旧約聖書が出てくるのかなと思ったら、ちょっと違う感じです。ユダヤ教も保守派と改革派みたいなのがあって、必ずしも一枚岩ではないみたいですが、その根本の部分は一緒みたいですね。まだ消化しきれていないのであまり書けませんが。

 

それにしてもこのユダヤ教の本、コーヒーこぼしたのか汚れが目立つなぁ・・・。

 

では今日も一日頑張っていきましょう(* ̄0 ̄)/ オゥッ!!

先日コンビニに寄ったら、週刊ダイヤモンドのタイトルが新宗教の寿命というものだったので、読んでみました。創価学会の件も大きく取りあげられていましたが、今の各宗教の課題は少子高齢化に伴う信者の減少だそうです。その中でも真如苑は数を増やしているという事で、その理由が「誰でも霊能者になれる」と言うのが大きいみたいでした。いわゆる霊能者になれるステップアップがあるみたいです。

 

妻に「いつもランニングしている途中に真如苑っていうのがあって、僕はお寺だと思っていたけれど別の宗教だったんだね」と言ったら、妻は大きな会館みたいなのがあるよね。知っていたよって感じでサラッと言われました(笑)。

 

誰でも霊能者になれる、誰でも天使になれる、誰でも○○になれる、と言うのはある意味で分かりやすいなぁとも思いましたが、所謂宗教の世界もビジネス、会社と一緒でしっかりとしたビジョンや計画を持っていないと規模が縮小していくみたいですね。

 

ただ、誰でも霊能者になれるってスタンスもそうですが、何かを信じるというのはリスクもつきまといます。

 

1986年11月1日 和歌山市南端の浜の宮海岸で、「真理の友教会」の「神の花嫁」七人が灯油を被って焼身自殺をした事件がありました。

 

「遺体群は焼けただれ、顔の見分けもつかないほどだ。赤黒い舌があごまで垂れ下がり、あるいは砂に手を突いて腕を立て、あるいは手をつなぎ合って横たわっていた。彼女たちは二五~三七歳の未婚の五人と、教祖の妻(42歳)とその実母(67歳)だった」(『宗教事件の内側』藤田症市)

 

教祖の宮本清治は肝硬変で前日の午後に亡くなったばかりでした。

 

「教祖は・・・死を強く意識し、現世利益よりも人生を根源的に捉えようとした人物だった。「「神の花嫁は」はすでに神の域に達しており、天国へ行く資格があった。」(『宗教事件の内側』藤田症市)

 

この教会全体が殉死信仰に包まれており、教会の主神はエホバだそうです。

 

天に行った教祖のお世話をするために、教祖の花嫁と呼ばれる女性たちは自ら遺書をしたためて焼身自殺をしたわけですが、残った信者たちも彼女たちが殉死することを受け入れており、静かにその死について彼女たちも本望だったでしょうと語ったという事でした。

 

信者の方々は物腰も柔らかく、反社会的な所はない方々だったようです。ただ花嫁たちは死と向き合っていたのかもしれません。神の存在として天に行く資格があると信じていたのだと思います。エホバの証人も天的クラスがありますし、自分が天使になると信じている人もいますので、天と言うのはある意味で特別な場所なのかもしれません。

 

人間は昔からここではない場所に真理や神を求めてきました。その解釈次第では今の限りある命よりも別の存在での命に価値を見出してしまうのかもしれませんね。宗教はある意味で現世ではない特別な何かを人に与えようとします。手かざしだったり、霊能者だったり、パラダイスだったり色々ありますが、そこに何かを求めるのは現世で何かしら満たされないものがあるのかもしれません。

 

僕もエホバの証人だった時代はそこまで熱心な信者ではなかったですが、ハルマゲドンを信じていましたし、自分の命の無限性についても考えていました。今は滅びは信じていませんが、命や生きることについては考え続けています。昔の人の宗教や信仰についても読みながら、ある意味でそれは自分の命との向き合い方でもあったんだろうなぁって考えています。そんなことをしみじみ考えながら。

 

ではでは(^.^)/~~~

聖書に選ばれなかった外典旧約聖書「第四エズラ書」の内容を以前チラッと書きましたが、今日はもう少し詳しく書いてみます。

「エルサレムの都がほろびてから三十年目、わたしサラティエル(別名エズラ)はバビロンに住んでいた。・・・あのシオン(エルサレム)が荒れ果てているのにひきかえ、ここバビロンに住む人びとが繁栄しているのを見て考えさせられたのだ」

前回の記事でも書きましたがエズラはエルサレムの滅びからいつまで経っても救いは来ずに逆に異教徒の街バビロンが繁栄しているのはなぜか神に問いかけます。

アダムを作り、彼が一つだけの戒めを守らなかったために彼から生まれる子孫の全てが死ぬべき運命を与えられたこと、その後洪水が来てノアの家以外は滅ぼされたこと。アブラハムを選ばれ、イサク、ヤコブからイスラエルが生まれ律法を与えられたことが書かれています。

エズラはこう書いています。

「人の心の中には一方にあなたの律法があるとともに他方邪悪の根もまたあるので、善は過ぎ去っていきますが悪はいつまでも残ります。」

と。完全なるアダムにも邪悪の根があったということでしょうか。ここら辺は悪の存在についても繋がってくる部分かもしれません。


まぁそれはさておいて、


その後、ダビデがエルサレムを建国しましたが、現在のようにエルサレムは敵の手に渡ってしまうこととなりました。エズラはバビロンにもたくさんの悪が存在するのになぜ神はこの地を滅ぼされないのかと問いかけます。


ここで、天使ウリエルが現れます。

「お前はこの世のことが全く分かっていないのに、至高者の道を知ろうとするのか」

と、偉そうに上から目線で尋ねます。エズラは知りたいと言ったので、じゃあまずはこの質問にお前が答えたら教えてやろうといいます。

「火の重さをはかってみよ、風の分量をはかってみよ。あるいは、すぎ去った日をよびもとしてみよ」

エズラは答えることができません。するとウリエルはこう言います。

「私はこんなむつかしいことを聞いているのではない。私のきいたのは、火と風とすぎ去った日のこと、つまり日常欠くことができないものについて聞いただけではないか。それでもなおお前は答えることができなかった。」

「どうしてそんな小さな力量で至高者の道をさとることができよう。至高者の道ははかることができない。このほろびゆく世の死ぬべき者に、不滅なお方の道を知ることがどうしてできよう。」

と、言っちゃいます。ウリエル、きついですね。お前に至高の御方の考えなんて理解できないよと。

しかしウリエルも負けてはいません。

「こんな世の中に生まれて罪と苦難の中に生き、しかもなぜ苦しまなければならないのかわからないくらいなら、いっそのこと生をうけない方がよかったのです」と。

さてさて、エズラは最初に戻って、なぜイスラエルは滅ぼされる運命だったのか尋ねます。するとウリエルはこう言います。

「お前がたずねた悪の種子ははすでにまかれているが、収穫のときはまだ来ていない」

と。これを読んだ瞬間、僕はおぉ!エホバの証人の統治体が言っていることと一緒ではないかと思いました(笑)。昔から使われている論理は一緒なのですね。滅びはなぜ来ないのか?まだその時ではない、と。

エズラは焦ります。自分の命は短いのでいつ滅びがくるのか知りたいと。ウリエルはこう言います。

「お前は自分のためにいそいでいるのだが、いと高きお方は多くのために事をなされるのだ。」と。

と。これを読んだ瞬間も、僕はおぉ!エホバの証人の統治体が言っていることと一緒ではないかと思いました(笑)。滅びはいつ来るのか?それはエホバのみが知っている。私たち人間がそのことを予想することはできないと。

そしてその後にウリエルは滅びの日のしるしをエズラに示されます。

地は多くの場所で大きく裂け、火が噴きだして長い間もえつづける

友人は突如としてたがいに敵になる

などなど、滅びの日のしるしを示します。星々の異変と地上の異変が起きて地上の支配も混乱状態になるというのが流れですが、これは他の啓示の書の滅びの予言とも一致している部分でもあります。

結局第四エズラ書では第七の異象までありますが、今回書いたのは第一の異象です。

遙か昔、1世紀にキリスト教徒たちが圧制をされていたときに希望のしるしとして書かれたモノなのかもしれません。いわゆる黙示文学と呼ばれるモノです。エズラとウリエルの論理的なやりとりのようにも見えますが、実際は正確な答えが出るものとはなっていません。ただ当時の人たちが抱いていた滅びと救いへの一つの答えとしてある程度の希望にはなったのかもしれませんね。

人間は常に死と向き合っています。だからこそなぜ自分が存在しているのか、古代の人たちは自分の苦しみについて真摯に向き合っていた存在なのかもしれませんね。そして現在と違って抑圧された存在だった人々は余計に救いと希望を欲していたのかもしれません。