1784年、福岡県の志賀島から発見された金印は、儒学者の亀井南冥(カメイナンメイ)によって鑑定された。
彼は、印の面の長さが漢代の一寸と合致していることや、同じ形状の金印が中国で発見されていることから、それが「後漢書」に記された金印と同じものだと断定。
その後は黒田家に伝えられ、1978年に福岡市に寄贈。
福岡市博物館に保管・展示されていれ。
しかしこの金印、真贋については以前から議論が絶えない。
疑惑の渦中にいるのは、最初に鑑定をした亀井南冥。
まず、鑑定の決め手となった印の面の長さが漢代の一寸と合致していることに関しては、文献を読めば江戸時代でも作れるということ。
また、中国の印と形は似ているが、作りはあまりに稚拙であることなどが挙げられる。
これらの理由に加え、発見時の状況に不明な点が多いことから、存在自体、亀井南冥による捏造ではないかという疑惑が持ち上がっているのだ。
発見当時、南冥が館長を務めた藩校・甘トウ館が開校したこともあり、名声を高めるためだったというのが有力な説である。
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