彼が総理大臣に選ばれた理由の1つには、英語力が優れていたことが挙げられる。
これを活用して、日本のトップに立って、政治を動かした伊藤だったが、欧化主義の推進者として、舞踏会や夜会を連日にわたって行っていたため、悪評も少なくなかった。
というのも、そこでの彼は「女好き」の本性を丸出しにしていたためである。
その破廉恥ぶりは、新聞にも取り上げられたほどで、ある時などは、美人として有名だった戸田氏共(トダウジタカ)伯爵の夫人を誘い出し、何とパ-ティ会場の裏庭の茂みで、コトに及んだという。
また、遊郭・吉原の帰り際に美しい芸者を見かけると、そのまま馬車に連れ込んでナニを…ということもあったとか。
エピソ-ドに事欠かぬプレイボ-イだ。
その女好きっぷりは、とどまるところを知らず、若い芸者から妙齢の未亡人まで、なんでもござれ。
下半身の赴くままに突き進んだという。
宴会や舞踏会がある度に女を口説き、必ずといっていいほど、両側に女を置いて寝ていたという伊藤博文。
そのプレイボ-イぶりは、見かねた明治天皇から「少し、控えなさい」と、お叱りを受けたほどだという。
最後に、懐かしのアイドル画像をお楽しみください煜
