朝鮮を開国させた、明治政府の黒い思惑とは? 意外に知らない日本史! | シティハンターのブログ

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「江華島事件」(1875年)は日本政府が仕組んだ謀略だと言われている。

朝鮮の砲台を挑発して発砲を促し、それを理由に軍艦雲揚号に乗船していた日本の軍隊が江華島に上陸。

砲台を破壊して、永宗城を占領した。

これはペリ-の砲艦外交によって日本が日米和親条約を結ばされた経緯と酷似する。

この事件後に、日本は全権大使として黒田清隆(1840~1900年)らを朝鮮に派遣し、1876(明治9)年に「日朝修好条規」を締結させた。

欧米列強と結んだ不平等条約により、貿易などで不利益を被っていた明治政府は、朝鮮と同様の不平等条約を結ぶことで、不利益を補填しようと考えていたのである。

その後、朝鮮はヨ-ロッパ列強とも条約を締結せざるを得なくなり、ついに鎖国を解くこととなったのである。

写真は、軍艦雲揚号。


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