明智光秀はなぜ主君を殺害したのか。日本の歴史上、最大の謎をめぐる議論が深化している。
本能寺の変の真実、最新説をチェック。
1 怨恨説
面罵された、領地替えを命じられたなどの理由で、光秀が信長に恨みを抱いたとする説。
2 野望説
防備が手薄な主君を討って天下を奪おうとした光秀の単独犯行とする説。
3 悲観説
重臣多数の追放、老齢で嫡子が幼かったなど、光秀が将来を悲観したとする説。
4 四国政策説
友好から対決へと四国政策が変わり、長宗我部氏との窓口の光秀が立場を失ったとする説。
5 朝廷説
正親町天皇や誠仁親王、公家衆が朝廷の弱体化を阻止しようとしたとする説。
6 足利義昭説
光秀が、かつての主君ともいう義昭と室町幕府再興を目指したとする説。
7 羽柴秀吉説
変後、中国地方から迅速に退却し光秀を討ったことから計画を事前に知っていたとする説。
8 徳川家康説
変後、畿内から三河へ。信長により正室や嫡男の殺害に追い込まれるなど、二人の関係が不穏だった可能性も。
9 その他の説
信長の側近・森蘭丸、イエズス会や堺の豪商、長岡藤孝(細川幽斎)などの関与。
この中で、近年有力なのが、四国の戦国大名・長宗我部氏との関係に注目する4の「四国政策説」である。
事実は!?