朝鮮へ出兵した秀吉軍は、李朝の首都・漢城(現・ソウル)を陥落させるなど破竹の勢いで勝ち進んでいたが、李舜臣率いる朝鮮水軍の活躍によって制海権を失うと、戦局は膠着状態に陥った。
秀吉軍を阻んだ原因は、鉄の装甲が施された朝鮮水軍の亀甲船の活躍にある。李舜臣自身が改良したとされるこの世界初の完全装甲船は、秀吉軍の矢弾を弾き返した上、敵船に体当たりして撃沈させられるほど堅牢な船体を持っていた。
元々は接舷しての白兵戦を得意とする倭寇対策のために造られた船だったが、倭寇と同様の戦術をとった日本の水軍は亀甲船を主軸とした朝鮮水軍の前に大敗を喫し、秀吉の野望はくじかれたのである。
1592年
朝鮮半島の釜山沖合で、李朝の名将・李舜臣(1545~1598年)率いる水軍が、日本水軍を撃破。