熱狂的な支持を受けてフィレンツェの指導者となったサヴォナロ-ラは、教会の腐敗と市民の享楽的な生活を批判して、市民に禁欲生活を強いた。
同時に行ったのが「虚栄の焼却」と呼ばれる「焚書」政策で、シニョリ-ア広場に贅沢品や絵画、書物などを積み上げて焼却してしまった。
この政策では、フィレンツェにおけるルネッサンス芸術の3分の1が失われたと考えられている。サヴォナロ-ラの熱烈な信奉者であったポッティチェリなどは、自ら作品を進んで炎の中に投げ入れたため、彼の作品の大半は灰塵に帰したという。
こうしてルネッサンスの雰囲気に浮かれた人々に警鐘を鳴らそうとしたサヴォナロ-ラだったが、1498年、反対勢力に拘束されて異端者として、今度は自らが火刑に処せられた。