非二元

ノンデュアリティって

 

どんな境地?

 

と思って

 

しばらく本読んで

レッスン、、、感じてみること、観察すること、

やっていました。

 

 

ちょっと違う畑の(⁈)

《時空を超えて生きる》という学びにも

顔を出し

そこの皆さんの考え方を

聞かせてもらいました。

 

 

奇跡講座

A course in miracles

純粋非二元の学び

言われています。

 

 

ここまでやってきて

あらためて

非二元と

純粋非二元の違いを

少しわかれたような気がしました。

 

でも

言葉というツールの
限界も感じてきましたよ爆  笑





ただ  ある

 

God is.

 

 

まだ その境地には

達してないけど、

 

究極のしあわせは

神の愛を思い出すことにしか

ないような気がしている。

 

(「神」といってるのは
 特定の名前のある神ではなく、
 自然界やこの世界のあらゆるものを創造している力、

 みたいなとらえ方です。

「神の愛」という言葉が自分にはなじみがあり
感覚とマッチしやすいので使いました。

 

「神」だけではなく
「愛」も感じたいようなところがあるようです。)

 

みな

一元にも

非二元にも

純粋非二元といってても

どこか
分離させてることが多くて

 

そこに盲目だったりする。

 

 

分離は悪じゃない。

 

悪はない。(と考える人が少ないことも放浪して知った)

 

 

だけど

 

自分をただ「あ~~そうなんだ」と
気づいていくことより

 

外をみて
ジャッジすることに
とどまりたい人が思っていたより

いっぱいいたことも
放浪して知れた。

 

 

だから
わたしは
また
ただただ「赦し」をしていこうと思う。

 

 

わたしはわかっていないので

 

求めていこうと思う。
 

神の愛を思い出すことを。

 

 

 

ゆるいこころでねおねがい 

今のままでいいことを知りながら

なにも変えない
なにもしない
このままでいても最幸だと知りながら、


違和感にも敏感にいようと思う。

 

この記事はこちらの
『心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして…』の記事に
感動、共感して書きました。

私たちの心の奥にある

神さまへの愛を思い出すとき

その愛以外のものは

消えてしまいます。

これは実体験で感じてることだから。

 

AKIさん ありがとうございます。