恩師
バレンタインデーの朝
私がバレエを始め宝塚受験へのきっかけとなりました、宝塚の上級生の方でもある恩師がお亡くなりになられました。
先生には、幼少よりバレエの楽しさを教わり40度の熱でも通い先生と母に止められた思い出も。
反抗期にバレエを辞めたいと言う私の自宅にお電話下さり
「バレエ嫌いになった?」
「いえ.....好きです」
「なら辞める必要ない!続けなさいよ~」と。
このお電話がなければきっと辞めていたかも知れなかった。
背筋がシャキッとされスラッとした先生の素敵オーラ全開のカッコ良さに憧れ宝塚受験を決意し
宝塚受験生時代にはご指導、サポートを受け、
合格のご報告に伺った際には
「みかちゃん!宝塚では色々あるけど、
見ざる言わざる聞かざる で居なさいよ!」とアドバイスを頂いた。
音楽学校入学迄の最後の発表会では、バレエ、ジャズ以外に先生と一緒にタップダンスを踊らせて頂いた舞台上は圧倒される華やかさにコレが舞台人なんだと!
同じ舞台に立っていても先生にだけ特別なスポットライトがあたっている様であまりにも眩くて衝撃的で自分の踊りが止まりそうになったのを今でも覚えており忘れた事はない。
宝塚在団中は舞台人としての自覚を。しかし、自分に必死でこの頃は連絡さえ出来ずにいた。
退団後は、右も左もわからないスタジオ立ち上げ当初、発表会他、指導者としてのイロハを教えて頂いた。
何年もご無沙汰していた失礼な私に
ご挨拶に伺った時には
以前と変わりなく接して下さり
逆に、大変喜んで下さった。
「先生~お話があるんです…退団しました。どーしましょう…」
先生:「私はね、、初めは小さな公民館を借りて自転車の荷台にデッキを積んでね、そこから始めたのよ」
先生は、それ以上何も仰らなかった…
きっと、私に自分でやりなさい!始めなさい!と、言って下さったのだと思った。
又、次男がバレエをかじり始めた4年生の時にも非常に喜んで下さり
まぁーそっくりね!はーちゃん(妹)にもそっくりだわ~と、妹の顔や名前まで覚えて下さっていた。
バレエをかじり始めた次男と私への最大の応援だった、、、
私が、幼少に習い始めた頃
先生のスタジオも立ち上げられた頃だった。
私のバレエ人生は、先生のスタジオの歴史と同級生と勝手に思っており大変光栄な事だった。
沢山ご尽力、応援を頂きまして
私の人生において
尊敬と感謝でしかない方です。
ここには書ききれません。
明日は、お通夜に行って来ますが
何だかお会いするのが怖い。
晩年、ご病気だと伺っていたのでお会いするのを御遠慮させて頂いていた。それが心残り。でも、先生はきっと叱らない方。厳しさの中にも大きな大きな愛がおありだった。
安らかに、、
どうぞ安らかにお眠り頂きたいと思います。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
先生!本当に有難うございました
合掌
れい美花
