また 暑い夏がきたと思いながら 江迎町へと向かう

昔 ニッチツ江迎 炭鉱のお隣に、
住友 潜龍 炭鉱という炭鉱が採炭を行っていた


昭和30年代の航空写真がほしかったが、
見付からなかった…
しかし 炭住や施設などが多く確認でき、
最盛期の時代だったのではないか

と、航空写真からでも推測できる、

地区へと入り 元炭鉱住宅だったであろう住宅地を歩く

住宅は 建て替えられ新しい町並みとなっていた

住宅地の片隅には、

地元の方も炭鉱住宅の残りだと話していた
住宅が残っていた

1段上がった通路も雰囲気を出している

そして 南側 現在は企業敷地へとかわっている所まで下って行く

その 片隅に ひっそりと佇む、


石碑が残っている

元硬山 付近に位置しているだろうか

草が生い茂る静かな場所に立っていた

何だか寂しそうだ…
石碑の周囲を見渡す、

やはり 石炭がゴロゴロと転がっている

そうやって 藪の中を見ていると、
何やら 気になる切り開きを発見した



山が大きく削られ 両サイドの山肌が切り立っている

山肌の下部にはコンクリートが切り開きに沿って巻かれていた

昭和40~50年代の航空写真には2本の切り開きが確認できた

切り開きの裏側に言ってみる事にした、

切り開きの反対側を探すも、企業敷地となり立入ができなかったのだが、
高台にコンクリートと煉瓦でできた建造物
が残っていた

昭和50年代の航空写真には大きな施設の痕跡が確認できた

選炭場に位置する所だろうか

最後に積込場があった潜竜ヶ滝駅の方まで歩いた、

全く痕跡を発見する事はできなかった

操業時の潜龍 炭鉱は潜龍駅の構内に大きな積込場を設備していた

駅前道路に面して左側に鉱業所、本部、
選炭場があった

今では、変わり果て 現代の町並みとなっている

現在、炭鉱跡地ともわからない この地区は
長崎県を代表する唯一の炭鉱と、

戦後、天皇陛下が潜龍 炭鉱へと訪れたという資料が残る

昭和24年5月24日の事だ、
この炭鉱が それだけの規模、優良炭鉱だった事がわかる

しかし 痕跡が全く確認できなくとも元炭鉱町であった雰囲気は感じられた
