「今度 遺構めぐりに連れてっちゃらんね?」
と館員さんに言われた。
即答で了解させていただきました。
色々と考えました、
今後 炭鉱の歴史を伝えていくには 今までの やり方だけでは ダメだという事。
今後 炭鉱の歴史を伝えていくには 今までの やり方だけでは ダメだという事。
知りたい学びたいと思う若い方も出てくるでしょう。
従来の形では 歴史は 堅苦しいという先入観は、
拭えない。
今回の依頼から旧炭鉱跡の案内など他 新しい形を計画していこうと思う。
八尋さんは 蒸気機関車で上山田や漆生線を実際に乗務にしていた方。
石炭も炭鉱から引っ張り出してたという事。
是非とも遺構を見て昔を思い出して懐かしんでいただきたいと思いました。
この方を案内できることが自分には本当に光栄と感じた。
今回は田川方面から嘉麻市に抜けるというコースにしました。
遺構めぐりは 池尻からスタートした。
最初は、
豊州 炭鉱 二尺排気坑口。
本坑は 現在慰霊碑が建っています。
閉山前の昭和35年9月20日 川底が陥没し坑道内が水没。
67名の犠牲者、現在も67名の方々は、坑道内に眠っているとの事。
慰霊碑に2人で手を合わせていると、
慰霊碑の管理者さんがちょうど清掃をしていたので お話しを聞かせてもらいました。
ありがとうございました。
さて 豊州 炭鉱を後にします。
続いては 大豊 炭鉱の巻上台座を見物して、
次は 川崎町 大任町を跨ぐ大峰 炭鉱に。
大手炭鉱だったので遺構も数多く残っている。
まずは 元病院(その後、事務所)
大峰 炭鉱は 敷地外からよろしくお願いします。
病院、劇場、元事務所、炭鉱住宅、ボタ山を見て元選炭場に向かいました、
選炭場、シックナーを見物します。
「オォー」
と八尋さんにも喜んでいただいてます。
喜んでもらい 本当に良かった。
そして、
次の遺構は是非とも見ていただきたい遺構があります。
油須原線の福田隧道です。
坑門前まで案内すると…
かなり驚いた様子で、
「これは、凄いね」
やはり 元鉄道マンですね、
さて次の場所へと向かいましょう。
続いて 東豊 炭鉱跡に到着、
この坑口を見ると、
「家の敷地内にあるんね」
やはり 驚いていた。
その他、
油須原線の福田隧道です。
坑門前まで案内すると…
かなり驚いた様子で、
「これは、凄いね」
やはり 元鉄道マンですね、
さて次の場所へと向かいましょう。
続いて 東豊 炭鉱跡に到着、
この坑口を見ると、
「家の敷地内にあるんね」
やはり 驚いていた。
その他、
ホッパーや台座など残っていますがホッパーは以前に地権者から許可を貰えませんでしたので見物できませんでした。
申し訳ありません。
気を取り直して続いての場所、
上豊洲 炭鉱跡に向かいました。
道路を走っていると もう見えてます、
やはり 人を案内する時には こういう車で袂まで行ける所がいいですね。
申し訳ありません。
気を取り直して続いての場所、
上豊洲 炭鉱跡に向かいました。
道路を走っていると もう見えてます、
やはり 人を案内する時には こういう車で袂まで行ける所がいいですね。
川崎町は 比較的に遺構が見易い。
この後、
道の駅 かわさきでお昼休みして嘉麻市へと回ります。
その途中 こちらも是非とも見ていただきたい、
熊ヶ畑 隧道です。
こちらの隧道は 汽車で通った事のないとの事でしたが他の鉄道マンの方の話しなどで盛り上がり喜んでいただけました。
そして そこから上山田 線へと向かいました。
百々谷を通り掛かりここにも見ていただきたいものが、
鉄橋です。
やっぱり、
その途中 こちらも是非とも見ていただきたい、
熊ヶ畑 隧道です。
こちらの隧道は 汽車で通った事のないとの事でしたが他の鉄道マンの方の話しなどで盛り上がり喜んでいただけました。
そして そこから上山田 線へと向かいました。
百々谷を通り掛かりここにも見ていただきたいものが、
鉄橋です。
やっぱり、
鉄道遺構が好きなのだろう驚きの声を上げていました。
上山田までは 走っていたというのを聞いていたので旧上山田駅を案内。
昭和63年に廃線となり現在は図書館などに変わっています。
やはり、
上山田までは 走っていたというのを聞いていたので旧上山田駅を案内。
昭和63年に廃線となり現在は図書館などに変わっています。
やはり、