宮崎県側に入った時は もう夕方になり、
辺りも薄暗くなってきたので本日はこれが最後の鉱山です。
高千穂の土呂久地区にあった、
土呂久 鉱山の歴史は 古く開坑は江戸時代だと記載があります。
大正9年、
宮城 正一が亜砒焼きを始める。
昭和37年、
閉山。
(詳細は 後程)
今回は、
情報が少なく場所が確かではなかった。
暗くなる前にと焦りましたが、
何とか発見。
やはり 立入禁止…
過去の歴史を知っていると立入禁止の訳もわかりますね。
外から覗いてみます、
大切坑。
ひっそりと残っていた。
頑丈に策が設置されていて坑口にはコンクリートと策でこれでもかというくらいに塞がれている。
現世から離れたこの山奥に これ程 強固に閉鎖された ミスマッチな様相が深く心に残った。
本日は探索終了という事で車中泊する場所を探します。