山代 炭鉱、

(昭和49年の航空写真)
1、みどり坑
2、柚ノ木坑
3、第七坑
航空写真でも確認できる みどり坑は現在でも遺構が残っているようだ。
海沿いの道から内陸部へ入り少し走ると田畑のひらけた土地が広がります。
広大な畑の中にポツンと、

巻上機台座遺構が残っている。
地主さんが見つからないので、

そして、
巻上台座の周辺には、


ホッパーですね、
農道に沿って ホッパーが削られている。
巻上台座 ホッパーに続き坑口がお宅へ、


コンクリートで塞がれていて形などは 確認できない。
しかし、
ここに坑口が開いていたと家主が話していた。
塞がれていたとはいえ 確かにここに炭鉱があったという事だ、
ホッパーも少し崩されていたものの残っていて良かった。
最後に詳細、
昭和10年5月、
山代 炭鉱開坑、
昭和24年、
山代 炭鉱閉山、
(佐賀県石炭史から)
昭和24~25年、
児玉 鉱業経営、
(鉱区データから)
合併か買収かは わからず。
児玉 鉱業に移り その後の記載は、
(租鉱権)
福住 炭鉱(新 伊万里)
福川 炭鉱(福和鉱業)
などの記載があり、
閉山は、昭和34年となっている。
(佐賀県石炭史から)
塞がれていたとはいえ 確かにここに炭鉱があったという事だ、
ホッパーも少し崩されていたものの残っていて良かった。
最後に詳細、
昭和10年5月、
山代 炭鉱開坑、
昭和24年、
山代 炭鉱閉山、
(佐賀県石炭史から)
昭和24~25年、
児玉 鉱業経営、
(鉱区データから)
合併か買収かは わからず。
児玉 鉱業に移り その後の記載は、
(租鉱権)
福住 炭鉱(新 伊万里)
福川 炭鉱(福和鉱業)
などの記載があり、
閉山は、昭和34年となっている。
(佐賀県石炭史から)