貝島 炭鉱 大之浦炭鉱六坑 | 鶴嘴さんのブログ

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おおよそ 4~5年前にこの記事を更新したひらめき電球

最近はブログの見直しを行っております、
その中で これは と思う記事を書き直したり再調査をやっているひらめき電球

こちらの 貝島 大之浦第六坑跡地も今回 再訪し書き直したいと思うひらめき電球

さて 大之浦第六坑跡地、
先ずは 採炭を行っていた場所へと向かう、
現在は すっかり 草木が生い茂り 普通の山と言われてもわからない程となっていますひらめき電球

選炭場位置も、

駐車場や空地となっているひらめき電球

しかし 倉久川には選炭場までの軌道が渡る
橋の痕跡が残っていた、

この橋を渡り西、東側へと軌道が伸びていたひらめき電球

そして 本線巻卸坑のたもとまで伸びていた
軌道の桟橋も現在残っている、

この軌道は大之浦第二坑選炭場まで伸びていたひらめき電球

この他 第六坑選炭場には 北側から笠松鉱(大之浦七坑)からエンドレス軌道が合流していた、

(笠松鉱 エンドレス軌道)


(笠松鉱跡地)


(笠松鉱 事務所跡)


(笠松鉱 診療所跡 集会所跡)

そして 第六坑選炭場 西側へ歩んで行けば

記念碑や






これは 以前に巻上台座と記載したのだが、
選炭場の最西端に位置する事がわかったひらめき電球

資料にて 選炭場から西側に伸びる施設の記載があったひらめき電球

それを見て何の台座なのか疑問が湧いてきたひらめき電球


そして 最後に このボタ石垣、
嘗ては ここに 病院があったといいます、



黒白のコントラストが素晴らしい石垣だと感じましたひらめき電球


自分は炭鉱時代に生きた世代ではない、
1度訪問した場所でも再訪してみれば 多くの発見もあり 多くの修正もありますひらめき電球

何度も訪れて 真実を明らかにする事も炭鉱跡地を歩く意味だと感じたひらめき電球




さて 詳細ですひらめき電球

貝島 炭鉱は、明治18年に貝島 太助が鞍手郡 上大隈村字代之浦にて大之浦竪坑(旧一坑)の開口に着手したのが、貝島 炭鉱の始まりだそうですひらめき電球

その後、大正13年に菅無代、桐野、満之浦、を一括して大之浦 炭鉱と称しましたひらめき電球

六坑の詳細は、はっきりわかっておらず開口も大正13年という記録もありますひらめき電球

後、昭和38年の第五次合理化で六坑は満之浦 炭坑という第二会社へ移行しましたひらめき電球

ですので、六坑の記念碑に満之浦 炭坑と書いていたのではないでしょうかひらめき電球

昭和42年、4月六坑は閉山となりましたひらめき電球

貝島 炭鉱も最終的に昭和51年8月に露天掘を中止となり、貝島 炭鉱91年間の歴史に幕を閉じましたひらめき電球

長くなりましたが、最後までありがとうございましたDASH!

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