●執着 Vol.1.~自然な感情に気づき、受け容れる~
お気に入りのものや、人との別れは、可視不可視を問わず、常に痛みを伴うもの。
服、財布、傘、靴、車、部屋。ペット、友人、大切な人、恋人。仕事もそうである。
これは、マーキングの一種で。手放すには執着を解く必要があるから苦痛を伴う。
執着から解放されない期間は、失ったものに囚われる。
失ったものは、日々記憶の中で美化されてゆくので、比類なきものとなってしまうから。
すると、ますます解放できず、執着は固執へと変貌し、トラウマとなってしまう。そして、複雑化。
もはや、何に対し執着しているのかすら、分からなくなってしまうと。手放すのはとても難しい。
モノに関して言えば。もしかすると、全く同じ物を、再度入手できるかもしれません。
しかし、人や出会い、場所に関しては、時空軸の中で過去になるので、二度とは戻れない。
パートナーシップでも、ビジネスでも、友達でも、自分にとって大切な相手を失う時、自然と執着心が発生。
執着心というと、なんだか怨念のような、醜い感情のイメージが強いですが、実は自然な感情。
誰にでもあること。情が沸いた分だけ、その穴を埋めようと自然発生するものです。
あまり否定せず、自然な感情として捉えられた方が、解放も早いと思われます。
元彼に執着している自分、手放せない自分に自己嫌悪をと非難し、ますます執着を深めるケースは多い。
執着には2つの側面があります。
1つは愛着、愛情といったポジティブな気持ち。2つ目は、慣れや惰性などの習慣性からくる執着。
これは、一緒にいるのが当たり前だったから、いないのが苦しい、という感情の側面。
例えば。誰でも、愛する彼や彼女のためには、力になりたいと考えるもの。
しかし、残念ながらうまくいかなかったら、どうしますか?
多くは、新たな気持ちでスタートするために、ひとたび相手を手放そうとします。
しかし、「手放そう、手放そう」と思えば思うほど、相手を思い出したり、
深層心理では、一度相手を手放すことにより、相手も喪失感を感じ、また戻ってくるんじゃないか?
と期待をしてしまうんです。これが、とても厄介な感情。
執着心は、内なる束縛ですから。心を縛り、自由を奪う感情です。
しかし。どMである私のみならず。
苦しいと分かっていながら、その原因を手放すことはとても難しいものです。
記憶の中の痛みは日々薄れ、相手は日々美化をされるので、辛い感情は徐々に忘却。
すると、まだ相手を愛したかったり、好きだったり、そんなポジティブな感情が優勢となってしまう。
自分の思惑と外れ、その「期待」である感情に、相手が応えてくれないと。
その感情は罪悪感や自己嫌悪などのネガティブな感情を引き起こし、執着を複雑化するのです。
●執着をなかなか手放せないのはなぜ?ケーススタディ
「あー、あれ、惜しかった」、「もし、ここに彼がいたらなあ」
などと、ふと思い出すのも弱い執着心の一種
「あの時、こうしていたらなあ」・・・etc。
という後悔の念も広い意味で執着の一つの表現と言えるでしょう。
しかし、「相手の役に立ちたい、困っている、傷ついている相手を助けたい、愛したい」
という気持ちが強いと、その対象を失った痛みもすごく強く残る。
私達は愛を受け取ってもらえない時にすごく傷つくから。
相手の幸せを願う深いレベルで好きだった時、執着が残るのもある意味当然といえば、当然です。
聖人君主じゃないんですから、愛したけれど、別れたらはい、さよなら、と簡単には切り替えられない。
すると、自分の愛のエネルギーのベクトルが見つからず
「誰か私の愛を受け取ってください」と彷徨っている喪失感に苛まれる。
だから、ある時は、元彼を忘れるために他の人と半ば無理やり付き合っても、
やはり誰も元彼の代わりなど務まらないので、相手を傷つけ、自らもさらにまた深く傷ついてしまう。
また、「彼を助けたかったのに助けられなかった」、という罪悪感があると、
自分を苦しめることで、その贖罪とし、罰を背負っててしまうことも少なくありません。
つまり、「私に助けを求めたのに、私が力不足だった」。と、大好きな彼をまるで見殺しにしてしまった
一種の罪悪感に苛まれてしまうと思い、、そんな罪人の自分は幸せになってはいけない、と思ってしまう。
これ、自分で意識していれば、抜け出すのはさほど困難ではありませんが
無意識裡、潜在意識の中で、痛みの感情は封をされ臆に閉じ込められるため、複雑化してしまう。
でも、本当は。彼も、自分も、そのままで幸せになっていいはずです。
mimiが言っていた。「恋愛なんて、ブルーになるためにするもんじゃない。幸せになるためのものだから」
だから、そんな自分を束縛する感情を持つのも、解き放つのも、何れも自分だけ。
そのことを何度も自分に教えてあげること。気づくこと。
それが執着を手放す大切なアプローチ第一歩。
執着も苦しいのですが、それを手放すプロセスは、もっと苦しいように感じます。
好きなものを諦めなければいけない、大切なものを忘れなければいけない痛み。
でも、本当にそうなのでしょうか?
次は、執着を手放す本来の目的を考えてみたいと思います。
きっとそれは。苦しみから自分や彼を解放してあげること、また、自分と彼を自由にしてあげること。
好きで、一緒にいられればそれはBestだけれど。その選択肢が、残念なことに無かった時。
好きだからこそ、離れる。好きだから、これ以上傷つけあわないために手放す。
どちらも愛の行為で、それぞれが幸せな道に進むための選択であるはずだから。