あの日から8年経ちました。
3.11は忘れることは出来ないし、忘れてはいけなんじゃなく、忘れられないんだよね。
先ほどさくらと一緒に黙祷をし、さっきまで暴風雨だったのにすっかり風も収まった今blogを書いてます。
午前中だったけど、たまたまNHKをつけたらお姉ちゃんをなくしちゃった子があれからずっとカメラのシャッターを切ってる映像が流れました。
映像最後のカットでその子が泣きながらシャッターを切っている姿を見て久しぶりに震災関連で泣いてしまいました。
東日本大震災という大きな災害があり、原発の問題もまだまだ解決していないここ福島県だけど
僕には家族もいるし、大切にしたい仲間もいる、ありがたいことにお仕事も充実させてもらってます。
しかし家族や友人を失ってしまった人が、この8年間どういう気持ちで過ごしてきたかと思うととても言葉や文字に表すことが出来ません。
その方々しか分からない「痛み」だと思います。ものすごく痛いと思います。
地震を憎んで、海を憎んで、あたりどころのない怒りや哀しみ、悔しさがあり、「乗り越えなきゃ...」とは思っていても乗り越えられない大きな壁がそこにはあり、その中でも哀しんでばかりいられない自分がいたり、笑顔を見せなきゃいけない時があったり、ただどうしても涙が勝手に出てきちゃう日もあったり、僕には想像もできない日々を過ごされてきたと思います。
想像すらできない自分がそんな皆さんにかける言葉なんて何も無いと「自分の無力」さを感じてる3.11です。
そんな今、そばに家族や友人、もちろんワンコロやニャンコ達もいてくれてる環境の僕たちが思えることは、
一刻も早く、1秒でも早く、心の底から皆さんが「笑顔」になれる日が訪れることを祈るしかないのかな?と。
なぜそんなことを思ったのかというと、テレビを消し、窓を全開に開け、遠くに聞こえるサイレンの響と共に黙祷してる時、自分は何に対して黙祷を捧げたのかな?って思ったからです。
色んな想いが頭の中よぎっていきました。
もちろん東日本大震災で亡くなられた方達への黙祷なんですが、しばらくすると、今でも避難生活を続けてる方や家族友人をなくしてしまった方達へ、先ほども言った「笑顔」になれる日が早く訪れるように!という黙祷ではなく「祈り」の様なものに変わっていく自分がいました。
心の中で自問自答しながら、今流れてる涙は一体なんの涙なのか?など。
結局、自問自答と言っておきながら自問だけで答えなんて出なかった。
ただ一つだけ、たった一つ自分にできることがあるとすれば、ラジオを聴いてくれたり、球場にきてくれたみんなを少しでもいい、失笑でもなんでもいい「笑顔」にすることができればそれでいい、僕にはそれしかできないと思いました。
Twitterでも言った、ラジオでも言う、毎年blogでも言ってる事があります。
この3.11と言う日はただの「区切りの日」です。記念日でもなんでも無い、ただ8年目と言う区切りの日。
そして哀しくなる日でも無い。何故ならば今日生まれた新しい命もたくさんあるからです。
今日が誕生日、結婚記念日の方だっているでしょう。そう言う方達には「おめでとう!」と心から言ってあげましょう。
明日になれば大きく世の中が変わるわけでは無い、「普通の日常」がまた訪れるだけです。
でもその「普通の日常」、家族が居て、友達が居て、犬や猫がいると言う「普通の日常」これが続く事がめちゃくちゃ大事な事だと僕は思います。
皆さんにとって今日の1日がまた明日当たり前の様に訪れることを祈ってます。
最後にこの動画は毎年、僕が定期的に観てる動画です。
よかったら観てみてください。
https://www.youtube.com/watch?v=eas0JvVUslk&index=108&list=FL6VaV5VVHHyTGowhuCD9Fvw