『ブラックペアン1988』感想――原作とドラマの相違点など | アトラス道求道者の日常

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海堂尊による小説『ブラックペアン1988』を読み終えた。

この小説は6月まで放送されていた日曜劇場『ブラックペアン』の原作で、僕はドラマ版も多少観ていたのだが、小説とはかなり異なるものだった。

 

海堂尊の小説を読むのはこれが初めてなのだが、彼の小説は全作品が舞台設定を共有した同じ世界観の中の物語らしい。したがって『ブラックペアン1988』の舞台は同氏の『チーム・バチスタの栄光』と同じ病院を舞台にした作品なのだ。

そして2010年代に舞台をおいたドラマ版とは違い、原作『ブラックペアン1988』はその名の通り1988年に時代設定をおく、『チーム・バチスタ』の前日譚とでもいうべき物語なのだ。

 

舞台設定が1988年であるため、ドラマ版に登場した手術支援ロボット・カエサルは登場せず、原作小説はスナイプを中心に物語が進む。また、カメラの技術が低いためか、加藤綾子が演じた治験コーディネーター木下香織も存在しない。

また、大きな相違点として、主人公が渡海ではなく世良である。渡海が登場するのは物語が1/4ほど進んだタイミング。しかしドラマ版とは異なり金を要求する設定は存在しない。長身で髪がぼさぼさの彼は面倒くさがり屋で態度も悪いけれども腕が立つ外科医である、というだけで原作ではそこまで尖った性格では無いのだ。

 

原作小説はドラマ版と話の大筋自体は同じだ。しかし読んで僕が思ったことは、これではドラマ10話分も話が持たないだろうということであった。表現をヴィジュアルに頼らない小説はどうしても描写が緻密になりがちだ。もちろんそのことは小説としてはとても良いのだが、物語全体のペースは遅くなるため、ドラマを作る際に制作陣は大きな変更を余儀なくされたのだろう。要するにドラマ化するにあたり、設定を追加し主人公を変更し、物語をよりデカく、派手にしたわけだ。原作では理事長選すら存在しない。あるのは東城大付属病院の病院長選のみ。しかも終盤に行われるのは病院長選の足がかりとしての国際学会の招待講演のみ。

 

したがって派手にされたドラマ版と異なり、原作は物語がシンプルで比較的淡々と進むのだが、これが非常に面白かった。主人公世良の心理描写が巧みで、読者は彼の成長を見守りながら、彼と同様に渡海や佐伯、高階らの素早い手術や不穏な人間関係にドキドキさせられるのだ。これは世良を主人公にした小説という媒体でしか味わえない感覚であろう。

 

小説『ブラックペアン1988』は「バブル三部作」と呼ばれ、続編に『ブレイズメス1990』『スリジエセンター1991』の2作がある。そのうちこちらも読んでみようと思う。