些細な出来事にもすぐに恐れや不安を感じてしまう人。
他人の目が気になって、自分を抑えこんでしまう人。
一方、同じような問題に出くわしても心が乱されることなく、悠然と落ち着き払って対応できる人。
他人の目を気にせず、自分の人生を生きている人。
この違いの原因は何だと思いますか?
それは、心の中に絶対的な存在、絶対的な価値を持っているかいないかの違いです。
私たちが現実世界と認識し、意識で自覚できる世界はすべて相対的なのです。
意識や思考といった私たちの精神活動機能が、そもそも相対的な関係をベースにしているものだからです。
絶対的とは、私たちの意識が認識できるすべての物事、すべての存在から切り離された、私たちの心の中だけに存在するものを言います。
これは相対的な思考を超越しています。
だから現実世界の環境や他人に影響を受けることなく、支配されることなく、現実世界と向き合うことができるのです。
私たちが認識する現実世界、つまり思考による世界には、絶対的なものはひとつも存在しません。
なぜなら、すべてのものは不確定だからです。
物理法則などは観察して確定できるものですが、私たちの人生、未来はすべてが不確定なのです。
どんな未来が待ち受けているか、いつ、どのようにして死ぬのか。それを事前に正確に確定できる人などいません。そして全ての人に完全に適応する正解というものも、この世界には存在しません。
しかし、人間の心は不確定なものに対して不安や恐れを感じるように出来ています。
だから人間は、絶対的な存在や概念を己の中に作り出すことで安心できます。
宗教を信仰することも、全てが不確定な現実世界から切り離された絶対的な存在を己の中に持つことが出来るというひとつの方法なのです。
だから人間は宗教に魅力を感じるのです。
(私自身は、既存のどんな宗教も信仰していません。むしろ人間が作った概念の宗教は否定しています)
話がそれましたが、絶対的な存在、絶対的な価値というものを自分の中に持っていなければ、人間は現実世界の環境や他人に翻弄され、不安で怖くてたまらない生き物なのです。
絶対的な価値観を持つ人は、環境に立ち向かえます。
しかし、絶対的な価値観が環境や他人との関係を破壊するものであれば、無用な争いによる危険や、破壊による損失などを生み出します。
排他的な宗教が信者以外を攻撃するのも、戦争も、これが原因です。
絶対的な価値観と、そこから生まれる思考。
相対的な価値観と、そこから生まれる思考。
どちらも欠かすことの出来ない要素なのです。
迷っていたら、絶対的な価値観は身につきません。信じると決めるのは自分自身しかいないからです。しかし、安易に絶対的な価値観を信じれば、間違ったものを信じて破滅する恐れもあります。
全てが不確定で正解のない世界で、自分が何を正しいとするか、絶対的な価値観とするのかを見極める目が必要です。
そして正しいと見極めた価値観を絶対的なものにするために信じること。これは原理的には宗教への信仰と同じものです。違いは、他者から与えられたものを信じるか、自分で選んだものを信じるかです。
絶対的な存在を信じるから、不確定な世界、相対的な世界で、不安や恐れに晒されることなく生きることができます。
それが、環境や他人に簡単に打ちのめされてしまう相対的に生きる人と、心乱されずに立ち向かうことができる絶対的価値で生きる人との違いです。
どちらにも長所と短所があります。
どちらも必要な要素です。
そのバランスを取ることが大切です。