前回更新分では、進化しすぎたジュニア極上対決…

プリンス・デヴィットvsPACのスーパーJr.公式戦だけに触れた。


今回は、6・6後楽園ホール大会で見た

他の試合に関しても書いてみたい。


まず、第3試合のAブロック公式戦。

すでに4敗を喫して自力優勝の望みが消えたタイチと

3度目の正直でファイナル進出を目指すKUSHIDA。


なぜか、タイチの応援団ということで、

女性ユニットが現れ、リング上で歌いだした。

着せ替えアイドルグループ『放課後プリンセス』という8人組。


この応援にパワーをもらったのか、

タイチはいつもの小ズルイ攻撃を駆使し、

急所蹴りからのタイチ式外道クラッチ。


わずか2分33秒で白星をかすめ取った。


「スーパースターには可愛い子がついてくるんだ。

どうだ、余裕だ!

これから彼女たちと祝賀会だ。

一晩で、こんな大勢相手にできるかな。

今日は楽しい夜になるな」

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調子に乗って、そう言い放つタイチだったが、

控室に戻る途中の顔をのぞき見ると、

明らかに照れまくっている。


ブーイングと”タイチは帰れ!”コールにすっかり慣れてしまったタイチ自身が、

思わぬ応援団の出現にイチバン調子が狂ったのかもしれない(笑)。


第7試合のBブロック公式戦、

田口隆祐vsTAKAみちのくは好試合だった。

田口は今大会のパンフレットの関係者予想アンケートを見ても、

Ⅴ本命と目されている。


なんと、13人中、6人が田口優勝を予想している。

私もその1人。

やはり、一昨年=ベスト4、昨年=準優勝という実績がモノを言うし、

今年こそという期待感が関係者の間にも渦巻いているのだ。


そういえば、昨年度Ⅴの飯伏幸太も

同じパターンで頂点に立っている。


一方のTAKAだが、覚えている方はいるだろうか?

私個人が選ぶ2011『ときめきプロレス大賞』のベストバウトが、

昨年のスーパーJr.公式戦で行なわれたTAKAvs外道戦。


ついでに思い出した。

昨年の同一カードで、TAKAは田口のどどんすずスロウンを

もろに食らって完敗を喫している。


今年でキャリア20年を迎えるTAKAは、

デヴィットやライガーのように控室に籠って

集中力を高めるタイプではなく、

通路に出てきてマスコミ勢と談笑しながら気を紛らわせるタイプの男。


私なんかも、前半の試合を通路のモニターTVで観ながら、

顔なじみのTAKAと雑談することが多い。


第2試合の公式戦(アレックス・コズロフvs佐々木大輔)を

モニターで観戦しながら、TAKAと雑談をしていた。


「去年は金沢さん、オレをイチ押しにしてくれたのに、

今年はパンフを見ても誰もオレに期待してないもんなあ」


そんなことを言いつつも、開幕戦で敗れたコズロフのことを

TAKAは分析している。


「なんでもできるし、いい選手だよね。

だけど、これっていうものがまだないんだよ」


「コサックダンスがあるじゃない(笑)」


「アレは技じゃないでしょ(笑)」


「ああ、そうだ! コサックダンスをやりながら

サミング(目潰し)ってどう?

これいいでしょ? 絶対にウケるよ。

相手も意表を突かれるしねえ」


「コサックダンスやってる間に攻撃されるじゃんか(笑)。

でも、できないことはないかなあ…」


そんな馬鹿話をしていたのだが、

さすがに試合でTAKAのコサックダンスは見られなかった。

ほんの少し期待していたのだが…(笑)。


だが、TAKAと田口の攻防は見応えがあった。

開始早々は、TAKAの変幻自在のサミングが飛びだし、

なんとなくコミカル路線の試合になっていたが、

途中からは職人同士による返し合い、技の読み合いとなる。


ともかく徹底して、ジャスト・フェースロックにこだわるTAKA。

どんな攻防からでも、気が付くとジャスト・フェースロックに入っている。

さらに、コーナーに軽く手を付いてバランスを取ってはいたが、

元祖・宇宙人プランチャも飛び出した。


前半とは打って変わり、気合の入るTAKAは、

どどんを食いながらも、逆転のヘビーキラー2号で田口を丸めこんだ。  


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「ジュニアは飛べばいいのか?

飛んでも勝たなきゃ意味ねえんだ。

飛ぶなら勝利にこだわる飛び方しろってんだ!」


飛ばなくなったのか、飛べなくなったのか…

そこは定かではないが、かつては空中戦の代名詞的存在だったTAKA。


この日は、飛んだうえで職人技をズバリと決め、

Ⅴ候補の田口に快勝しただけに、コメントにも説得力があった。

表情も「してやったり!」という感じ。


まだまだジュニアの第一線で通用する男。

それを改めて証明した格好だった。


セミに組まれたBブロック公式戦には、

懐かしい匂いがプンプンと漂っていた。

ロウ・キ―vsブライアン・ケンドリック。


ホールの一部観客から「ZERO1対決だ!」という声も飛んでいたが、

我々からすれば、どうしてもそちらに頭がいってしまう。

ロウ・キ―vsレオナルド・スパンキ―なのである。


今から10年前、先に来日して人気者となったのがスパンキ―。

レオナルド・ディカプリオ似の甘いマスクで、

リングネームも途中からレオナルド・スパンキ―へ。


そして、入場の際には必ず客席から女性ファンを見つけてリングにあげると、

セカンドロープに立たせ、あのタイタニック・パフォ―マンスを披露していた。

ZEROーONEジュニア№1の称号である

3団体認定インタージュニア王者となったスパンキ―。


その約3ヵ月後にやってきた未知の男がロウ・キ―だった。

2人はタイトルマッチで対戦もしたし、タッグも組んでいる。

その後、ZERO-ONEから巣立った2人はメジャーへの道を歩む。


ともにWWEも経験したが、帰ってきた場所は日本マットだった。

そんなドラマチックな過去を知っているファンもいるのだから、

やっぱり後楽園ホールだなあ、という思い。


おもしろかったのは、後から入場したIWGPジュニア王者、

ロウ・キ―がセカンドロープに上がってアピールしていると、

すかさずそこに忍び寄ったケンドリックが後ろから張り付いて、

タイタニック・パフォーマンスをやりかけたこと。


ロウ・キ―が不機嫌な顔でそれを払うと、

ケンドリックは驚いた顔を作りつつもニヤリ。

ケンドリックが一瞬スパンキ―に戻って挨拶した格好だろう。


だが、今の勢いと力量差が試合にハッキリと現れた。

ロウ・キ―にはかつてのような軽さがない。

動きは軽快であっても、身体に1本芯が通っているように見える。


一言で評すなら、強い。

5・3福岡でデヴィットからベルトを奪った試合から始まって、

今のロウ・キ―は過去最強という感じがする。


ケンドリック戦の勝ち方にも強さが出ていた。

得意のスライスブレッド№2(不知火)を仕掛けたケンドリックを

そのまま空中で捕獲すると、有無を言わせぬキ―クラッシャー99で

完璧に仕留めた。


1発の破壊力はヘビー級クラスかもしれない。

もはやかつての盟友も眼中になし、というところか?

ともかく強い王者は連勝街道を驀進中だ。


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「セカイのセンシですから!」


私の好きな日本語での締めのセリフは出なかったものの、

このロウ・キ―の強さを見るにつけ、

なんとなく長期政権の予感さえしてくる。


また、休憩前に1試合だけ組まれたヘビー級の8人タッグマッチ

(棚橋&後藤&内藤&トンガvsオカダ&中邑&YOSHI-HASHI&石井)も

意味のある試合となった。


このメンバーだから、当然のように試合は白熱する。

その攻防はじつにスピーディーでジュニアも顔負け。

ここで注目すべきは、くすぶり続ける棚橋と内藤の関係だ。


6・16大阪大会のメインイベント、IWGPヘビー級選手権は

オカダ・カズチカvs棚橋弘至のリターンマッチと決定。

しかし、諦めきれない内藤哲也がそこに強引に割り込む。


あくまで「20代でのIWGP王座奪取」に、

こだわり続ける内藤。


6月22日の誕生日がくれば、30歳。

もう6・16しかチャンスは残っていないのだ。


しかし、リング上では非情な結果が待っていた。

「これが実力行使の最後のチャンス」とばかり、

棚橋を押しのけ、強引に対オカダの局面を作り上げた内藤。


レインメーカーは二度とも交わした。

内藤が躍動する。

ハイブリッジの豪快なジャーマンスープレックス。

ジャンピング・エルボーから、止めのスターダストプレスへ。


だが、エプロンから忍び寄った中邑が

コーナーの内藤を蹴り落とす。


ここで、オカダはツ―ムストン・パイルドライバーから

満を持してのレインメーカー。

オカダの下で3カウントを聞いた内藤の夢は砕け散った。


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試合後、内藤はノ―コメント。

控室を素通りして、反対側のコーナーへ。

コスチューム姿のまま非常階段に出ると、

座り込みうなだれたまま。


5分ほど、このままの姿勢で動こうとしなかった。

泣いていたのか、悔しさを必死に抑えようとしていたのか?

私には、彼が自問自答しているように見えた。


自分の考え、手段は正しかったのか否か?

チャンスが消滅し、目標が達成できないまま終わる20代、

これまでの道のり、これからのモチベーションは……

そんなことを自分に問いかけ、答えを見つけ出そうとしていたように見える。


そんな内藤の背中を見て、まったく違う人物のことを思い出していた。

永田裕志だ。

アンチエイジングを掲げる44歳の超・元気印中年。


かつて永田も、内藤と同じ目標を胸に抱き、

それを公言したことがある。


1996年5月、永田は後楽園ホールで

橋本真也と初めて一騎打ちを行なった。

当時の破壊王は肉体的にも精神的にも絶頂期にあった。


4・29東京ドーム大会で高田延彦を破り、

IWGP王座を奪還した直後である。

ウエートも120kg前後まで絞られていた。


最強の橋本に対していったのは、キャリア3年8ヵ月、

28歳になったばかりの”ヤングライオン”永田。

永田は24歳でデビューしているので、

自分に時間がないことは入門前から意識していた。


とにかく、試合では橋本の強さが際立った。

永田の蹴りを食らう代わりに、

その何倍もの重い蹴りをブチ込んでいく。


相手が若手だろうと容赦なし。

いや、真っ向から勝負してくる生意気な永田だからこそ、

真っ向から潰しに出たのだろう。


最後は、ド迫力のジャンピングDDTに

永田が沈められたと記憶している。


ここで、永田が思いの丈を報道陣にぶちまけた。

相手は、全盛期の最強王者である。

その男を体感したのだから、口が滑らかになるのも当然だろう。


「橋本さんを体験して、新日本プロレスの頂点を肌で知った。

オレには時間が少ないんです。

30歳になるまでにIWGPを巻きたい!」


結局、永田のIWGP初挑戦は、

1998年の9・23横浜アリーナ大会。

スコット・ノートンと新王者決定戦を行ない敗れた。


当時、30歳でキャリアはまる6年。

それから永田がIWGPを巻いたのは、

2002年の4・5東京武道館。

33歳、キャリア9年7ヵ月での初戴冠だった。


それ以降、当時の防衛レコードである

Ⅴ10を達成したのは、周知の通り。


途中までの経過でいくと、内藤は永田とよく似ている。

デビュ―が23歳と11カ月。

昨年の10・10両国で棚橋に初挑戦しているから、

29歳、キャリア5年5カ月での初挑戦。


ここまでは、内藤と永田はだぶって見える。

だが、ハッキリいって、時代も違えば、環境も違う。

永田は新日本の暗黒期に王者として、会社を支えた。


だが、幸いにも内藤はリングに専念できる環境にいる。

今回の挫折をバネにどういうモチベーションで立ち上がってくるのか?

今まで内藤に足りないものといえば、唯一、挫折だった。


それを経験した今だからこそ、

彼はもっともっと強くなれるだろう。