陰口が陰口として存在するのは健全?〜ネット上での誹謗中傷に思う〜 | クリスチャンカウンセラー♧はんなのblog

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出会ってくれてありがとうございます。



初めて陰口を聞いたこと

自分も言ったこと



いつだったかな...と考えると

小学校3年生の時を思い出しました。




女子が仲良しグループを作り始める時期。



ちょっとしたトラブルがあって


グループ外の子の陰口を聞きました。

私も一緒になって言いました。


そして、きっと私も言われていたと思います。



言われていたと思う、のは

「陰口は当人の耳に入らないもの」

だったからです。



ニュース記事


ところが、今のネット社会。



本来、当人の耳に入らないはずの陰口が書き込まれ、LINEやメールで送られて来る。。。



陰口じゃなくなって来ているのです。




⬇️記事の中でのホリエモンさんの言葉です。


「陰口については必ずしも我慢する必要はないとしつつ、ネット上に書き込むべきではないと強調した。「自分の胸の中にしまっておけとは言わない。ストレスかかるんだったら誰かに言え。だけど、ネットに書くな。陰口っていうのは本来そういうものなんですよ」



陰口は、あくまでも陰で言うもの。




良い悪い、は別にして


○当人の耳に入らないもの

○当人には直接言わないもの

○聞かないからダメージは少ないもの


だったのに。。。



「故意に罪を犯した者は」



この箇所の前後を読んでいくと...



神様は「過ち」「過失」に対しては寛大です。


でも「故意に」犯した罪に対しては、厳しく臨むお方なのです。




これを言ったら

相手が傷つくとわかっていて

関係性が悪くなるとわかっていて



ネットを使って発言、書き込みをする=故意に相手を傷つける=罪


なのですね。



(mocaの、故意のイタズラは可愛いもの♡)


罪ある人間たちが集まる社会で



陰口が「陰口として存在する」のは

今や健全な許容範囲⁈なのかな。。。



故意、と過失。



これ以上傷つく誰かを作らないため

故意の重さを忘れずにいたいものです。



最後まで読んで頂きありがとうございます。あなたは、愛されるために生まれた人です。