沢山のblogの中から
出会ってくれてありがとうございます。
6年前に旅立った父の
七回忌法要を行いました。
(うちは、家が浄土真宗です)
台風が近づいている夏の日
ICUにいた父の急変を知らされ
間に合って見送ることが出来たのは
母と私の二人でした。
意識のない状態の父を前に
ICUのドクターが
「まだ聴覚は残っていますから、声をかけ続けてください」
と仰ったので
母と私で声をかけました。
母は、確か
「お父さん、頑張ったね」
そして私が
「イエス様を信じて天国に行くんよ~」
と言うと
ふ~っと大きな息をして
その後すぐに旅立っていきました。
時刻は午後4:43。
「わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう」
この聖書の言葉は
私が息子の闘病中から
ずっと握っていた約束の言葉です。
聖書箇所は
イザヤ44章3節=44:3!
父が旅立った時間を見た時
すぐにこのみことばが浮かび
神様が父の魂を引き受けて下さった
という確信と平安が来たのです。
(父の遺言に添って通夜もなく、家族兄弟だけの小さな家族葬。自宅から出棺しました。)
私たち人間の最期の瞬間まで
神様が聴覚を残して下さっているのは
最期まで神様のgood newsを聴くため!
そして、愛する者たちからの愛の言葉を聴くため!
神様の愛そのものなのですね。
だから、私たちは
愛する者を見送る場面に置かれたなら...
最期の最期まで心を込めて
神様の愛と、見送る人への愛と感謝の言葉を伝えましょう!
最期まで読んで頂きありがとうございます。あなたは愛されるために生まれた人です。