療養日記 18 ~ Look Back & Recent Report ~ BIRTHDAY
チンパンマン2:50の独り言YouTube4月になってからは暖かくなってきたおかげで胸部の痛みの頻度も減って血管の痙攣が起きる事も少なくなってきた。やっぱり寒暖差、とくに寒さには本当に苦しめられてきたね。ライブ参観もしてきたけどやっぱり3月と4月では体調が全然違った。4月は本当に体調良くライブに行けるようになった。それでもまだ胸部が痛み出したりする事もあるけど冬とは明らかに違うくらい今はそれなりに身体の調子は良い感じやね。ただ油断大敵の意識は持っていかに身体だけやなく心にも悪い波を作らないように努力はしてる。サプリメントやアロマ。サプリメントは、ここまで買うのもちょっとやりすぎやろけどまぁ俺には安定剤みたいなもんで(笑)栄養ドリンクにも頼ってみたり。アロマも。大袈裟に思われるやろけど俺の場合は大袈裟なくらいが調度良い。毎日必ずレコードかけて聴いたりハーモニカも追加で色々と買って遊んだりまぁ遊び程度やから気が向いた時にだけしか吹かないけど何よりもストレスを溜めない事だけ。だからいつまで経ってもハーモニカが上達しないと言うね(笑)天気が良い時は散歩したりたまに三島にも散歩に行ったりやっぱ暖かいと良いね、暑いのは嫌やけどそんなこんなで僕は元気にしてます♪ただ個人的に残念な事もありました。彼女と同棲した13年前に飼った2匹の亀。メスの【ラブ】と オスの【ピース】。ピースが4月8日に全く動かなくなって死んでしもてたというね。死ぬ前日は彼女が餌をやって動いてたけど眠るように力尽きてた。感染とか病気やなく自然死やった。何年も冬眠も乗り越えて、これから暖かくなって食欲も出ていっぱい食べれる時期やったのにな。彼女が熱海の自宅からピースを水槽に入れて俺が療養してる別荘に持ってきてな。餌をやるだけで俺はあまり触ったりしなかったけど最後くらいは俺が甲羅とか磨いてあげたりした。こんなに重かったか?と冬眠明けとは思えないくらいやった。一応全長30cmくらいあるけどね。べつに悲しくはなかったけど寂しい気はした。んで、何よりもピースには申し訳なかったし可哀相な事をしてしまったなと。俺らが飼い主でごめんなってな。土葬が無難だと聞いたから大きな植木鉢に土を入れて餌と一緒に埋めて赤い花手毬を植えてあげる事にした。亀は好奇心が強いのか、カラフルな物やクリスマスツリーの電飾に反応するからね。もっと食べたいだけ食べさせたかったけどね。これで堪忍してな、ピース。まぁ死んでもピースの居場所は熱海の自宅。俺達と 一緒に居る事には変わりないからね。んで、ピースが死んでから2日後の4月10日。去年から別荘のベランダに住みついてる野良猫のKISS(キッス)。こいつがベランダに寒さを避けるために置いたボックスの中で子供を産みやがった…ちょうどその日は天気も良く暖かかったから汚されたベランダの大掃除しようとした日。もちろんKISSは子供を守るために威嚇してくるし母性本能も 警戒心も かなり強い。今もそんな状況やからベランダ掃除が出来ないままです。最初は子供が8匹もいたのに今は3匹しかいない。里親を探してあげれば良かったのかもしれないけどKISSから子供を奪う勇気はなかった。KISSに餌をあげる事だけで精一杯。しかし何故ここで産むかね?最初は手足に毛が生えてなかった子猫も今はだんだんフサフサに。俺の髪の毛は増えず減る一方なんに……。まだ生後1ヶ月も経ってないとはいえこの残った3匹だけは もう死んでほしくないよな。んで、さっさと成長してベランダの外に散歩行けるようになってほしい。何故なら俺はベランダの掃除がしたいんだよ…そんなこんなで色々あった中で4月21日、誕生日を迎える事も出来た。42歳になりました。近年はライブとかイベントなどで誕生日を過ごしてたから自分の誕生日にケーキなんて3年振りやろか?年を取れるっていいね。顔がシワやシミで老けようが俺は関係ない。まだ生きて楽しい事があればそれで良いから♪若い頃には今の自分なんて想像にもなかったよ。29歳の時の免許証用の写真。14年前に骨髄移植してまだ1年ちょっとの時に自動車免許を取得したんよな。本当は免許取得なんてしたくなかったけど彼女と出逢って湯河原に住むには絶対に車の免許があったほうが良いと知り合いの弁護士に30万円渡されてもう嫌々でさっさと教習所に行ってた。俺は過去にバイクや車に何度か轢かれて酷い時は西麻布の交差点でタクシーに轢き逃げされたからね。だから嫌だったんだよ、車を運転するのが。だって人を轢いてしまったら大変な事やん?人を轢いて加害者になるくらいなら自分が轢かれて被害者になったほうが良い。俺はそういう考えやから今でも運転するの怖いよ。あとは30歳~35歳までの頃の写真。若かりし頃と言いたいとこやけど30代では もうオッサンに突入時期やから若くはないな(笑)顔がふっくらしてるな。この頃は体重も65Kg~67Kgあったし(今は57Kg)今だに信じられんよな、骨髄移植してから数ヶ月間 リハビリセンターに居てすぐ社会復帰して彼女と出逢ってまだ白血病や再生不良性貧血が再発する可能性や恐れが充分にあった病み上がりだったのに21歳の時に再生不良性貧血が発覚した時に医師から生存率20%と言われたのはいったいなんだったのかと写真見ると思うわ。彼女も若かったんやね(^-^;プロボクシング観戦によく行ってた頃も色んな選手や当時の世界チャンピオンとも一緒に撮ったりしてたね。同級生と彼女と、こうやって写真撮ったのも12年前や13年前になるのか。だから本当に生存率20%とか言われた20代の頃の俺なんて自分の20代後半どころか自分の30代なんて想像する予知なんて全くなかったからね。時間が解決してくれるってのも俺には死ぬためのカウントダウンでしかなかったもんな。骨髄移植したのが2003年2月3日なんやけど俺はその2月3日を第二の誕生日としてる。毎年自分の誕生日や第二の誕生日を迎えるたびに必ず思う事があるんよな。20代の頃なんて自分の30代すら想像もつかなかったのに今、42歳だよ?(笑)だから今だに生きてるのが不思議でもあるし今だに生きてて本当に変な感じなんだよ。俺より健康だったはずの同い年が先に死んだり交通事故で亡くなったりな。人の寿命、運命人による この差は いったいなんなんだ?順番的には俺が最優先だと思ってたのに俺より先に死んだ友達が本当に憎たらしくてな。今は去年9月20日に起きてしまった急性心筋梗塞で療養中やけどあれもあれで本当に危うく死ぬとこやった。あれは今でも運が良かったと言われるけど彼女や救急隊員、医者と言った人間に助けられただけなんだよ。それも【運】だったと言うならまぁ、そういう事にしとくけど(笑)単に寿命を延ばしてもらえたんだよ、俺は。ただ、もし助からずに死んでしまってたらそれは俺の寿命、生きる期間が終わりなんだよ。俺の死生観としてはね。だから俺の場合は今の病気になる前から自分の信念、考え方として俺の死と言うのは寿命だと言う考えなんよな。それはどんな事であろうがどんなキッカケであろうがその寿命が来たら死んでしまうというのがそれが俺の考え方やからもし何らかの形で余命告げられたりとか手の下しようがないと言われたらもう俺は『あっ、そうですか』って、多分 もう何も恐れないと思う。まだ生きたいと気持ちがあったとしてもね。その時は諦めなアカンとこも出てくるやろし自分に対しても無責任な愚かな部分でもあるけど無責任にでもならざる得ないんやと思うから。それは20代の頃に血液の病気した経験もあるし人生って諸行無常って言うやんか?こういうことは、あまり人には言わないけど当然人間 誰にでも言える事やからね。人なんて、いつどうなるかなんてわからんから。とにかく寿命が来たら終わりなんやとそう思うと、なんか安心して生きられるようなそんな気がするんよな。死ぬ事を前提に生きてる事には変わらんから。だからその時のためにやり切った感を出したくて闘病しながら今、やれる事や、やりたい事をやってるわけで。でも人間ってある程度 上手くいくと楽な選択して、楽な方向に行きたがるやんか?ある程度 安定してきたりしたりもして。だけどやっぱり挑戦しなきゃいけなかったり現状維持だけではダメなんやと思うしやっぱり現状維持だけでなくやれるとこまで俺は やりたいよ。ただ、現状維持ってのも決して安全な場所にいるだけではないからね。俺の場合は安心出来る環境があってもまだ安心出来る身体ではないから今より良くする方向を目指しながら今よりも悪くさせないための現状維持もこれはこれで大変な事なんだよ。例えば、ダイエットで痩せる事なんて俺にとっては簡単な事なんだよ。痩せてから維持する事のほうが大変でそれが出来ない人がいるからリバウンドして体を壊したり病気になったり俺が言う現状維持の大変さと難しいさはわかりやすく言えば、そういう事。俺は今、周りから羨ましがられてるよ。仕事を長期休暇して毎日のんびりと楽な生活をしてライブ行ったり好きな事して本気でそう思われてるよ。俺は今は長期休暇で療養してると言ってもなんのために俺が療養してるか分かるか?バカバカしくてそんな事を言う奴らに強調して書くつもりはないが働きたくない奴らは働かなければ良いと思うよ。やる気のない奴なんて会社とか辞めればいい。そんな奴に給料出す会社側のほうが本当は迷惑してる事やろしそんな奴らが辞めてくれれば就職難の人の空きが出来てとても素晴らしい事や。嫌な事から逃げたり避けたりとりあえず今の職場でなんとなくやってるとかそんな向上心もない奴らや本気で真面目に社会で働こうとせずに能書き言ってるような奴らに俺の療養生活の事になんて触れてほしくないね。働けない人間になりたくないから俺は14年前の骨髄移植から必死にリハビリして社会復帰したい一心でやってきたからね。だから今はただサボってるわけではないし自分の身体を第一に健康に近づくために必要な療養なんやから。我慢、辛抱、時には手抜きもしたりダラダラしたりする事も当然あるけど身体を良くするためにも、悪くしないためにも続けるとこまで俺は やってるんだよ。自分に有効な治療もやれるならやる期間としてこの長期休暇を自分に有効に活用していくよ。人生初の厄払いに行くと決めて数ヶ月近いうちに行こ。昭和50年生まれ、42歳。【今後のライブ参観】2017年6月8日スティング日本武道館2017年7月22日尾崎亜美渋谷区文化総合センター大和田 さくらホール2017年7月23日尾崎亜美渋谷区文化総合センター大和田 さくらホール