昔話をするのは年寄りの証なのでしょうか。いやいや今回はYouTubeが事の発端です。その映像を見て「そうだったのか・・」というのが本音です。誰もが近くの商店街や名所を「自分の庭」という仮想の思い入れがあるのは当然です。私にも同じように幼少の思い出は沢山あります。それが私にとっては京極や錦通りだったのです。そして約60年間も全く気付いていなかった事へのショックはそれなりに大きく、我慢することなくお邪魔することにしたのです。はじめての入店です。

 

過去に利用し昔を懐かしみ訪ねたお店はありましたが当時の面影は全くなく残念なことの方が多いのも事実です。恐らく今でも変わらず営業されているのは「家業」ならでは奥義なのでしょう。また成人してからも適当な頻度で利用していた店舗に関してはさほど変化していないように見えますが実のところ適度に改装・補強はされており気付いていないだけなのだと思います。また子供の頃に連れて行ってもらった店舗の殆どは閉店されており様変わりした雰囲気は否めません。それも時代の流れなのでしょう。

 

 

今回の驚きはうどん屋さんだと思っていたお店が実は「きしめん屋さん」だったという事実です。小さな頃や若い間は、その建屋の趣と看板を見ただけで勝手に「おうどん屋さん」という認識で暖簾をくぐることはありませんでした。そこにYouTubeの映像が登場し驚いたのです。店内は石畳が敷き詰められテーブル席が用意され小上がりもあります。割烹着をきた接客担当の方が小気味よいリズムで注文を取り、会計を行い、さらに案内作業も鮮やかです。料理を運んで下さるのは別の担当の方です。ゲストの事を良く気づかい、私の分野であるサービスという専門においてもキメの細かさを感じます。勿論、運ばれてくる名物のきしめんは予習が十分に出来ている私達には絶品です。

 

話はまたもや幼小の頃に戻りますが「わらじの村瀬」というビフカツのお店が寺町にありました。そこのご主人は客席を見るという仕事に関していえば今から思えば一級品でした。子供心に面白がったのは一口水を飲めば継ぎ足しに現れるのです。それも何処からともなく。白いジャケットコートに蝶ネクタイで、言葉少なく、何となく憮然とした表情で水を注いでくれるのです。ある意味、凛としたお店でした。その村瀬と今回の更科では提供する商品とスタイルは異なるものの共通しているところがいくつもあるのです。今では食卓サービスを指導することが仕事ですが意外にもルーツはこれら京都の町衆をもてなし、高度成長期に存在した店舗での外食経験だったのかも知れません。

 

今回の「きしめんの更科さん」においても現職のサービスマンは見習う点がいくつもあります。勿論、専門にするジャンルが違えば商品の価格も異なりますが仮に「家業」として運営されているのであれば大いに重要なポイントをつき、短い時間においてもゲストを満足させる術を心得ておられると考えます。

 

京都の「おもてなし」は豪華絢爛かつ天よりも高いプライドだけではありません。むしろ、もっと身近な食卓や商品にその「もてなし」の精神が宿っているのだと思います。やはり同じ場所で同じ商品を提供し歴史を育まれていたその暖簾の重みは色々な事を現代の人に伝えてくれる存在でもあるのです。「ありがたい」「ご馳走様でした」

 

追伸、

創業300年以上の「かしわ」500年以上の「お蕎麦」もあるわけですから、二代目や三代目でどうなるものではないというスパンで動いているのが京都なのだ・・と改めて認識する次第です。

 

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