日曜日に毎年2回催される会のお手伝いに行ってきた。毎回、求められない限り名刺を差し出すことが無かったが今回もリクエストに応じ名刺交換ではなく一方的に差し出すスタイルとなった。基本的に勉強不足で文化人を含む有名人を知らない。恐らくこれが今回のスタイルに至った要因ではなかろうか・・と書きながら思い起こしている。まあ、仕方がない。それはともかく私の名刺にはソムリエという肩書というか呼称が印字されていない。むしろ一番目立つのは「おもてなし作家」という表現だろう。
20年ほど前には○○作家協会に属していたこともあり専門性で差別化する必要があり名刺に印字されている。所謂、京都でいう「おもてなし」と同意語ではなく「和洋問わず人でもてなす」ことに着目している。ここまでが前置きだが、そこで飲食業界だけでなく人手不足や材料費高等、品不足で大変だとカウンターに座るゲストと話していると「マスターは大丈夫!」と合いの手を入れるゲストが現れる。恐らくカウンターに座るゲスト全員が私の名刺をもっているからだ。「マスターには作家の道がある」これはシンプルに酒のツマミになっているだけなのだが「そうだった」と何となく気を良くしていた。売れない作家でも名刺に書いてあるだけで酒のツマミになれる・・。何となく嬉し恥ずかしの瞬間である。
まあ、基本的に「マスター」というゲストは名前を憶える気はない。一期一会以下の関係性だ。その事実を知ったのは私がホテルを退職し専門学校の学生と実習場代わりに作った店舗で初めてゲストから「マスター」と呼ばれたことを今でも思い出す。私の認識では「マスターとは barbar shopの主人」だった。ただ、その人は今でも何となく継続した関係である。「え~、大きい声で・・」誰を呼んでいるのかわからないと思いながら接客していると自分を呼ぶ声だった。この時も恥ずかしいと思いながら声の方へ向かう自分が考えていたことは「たしかにマスターかも知れない」と笑えてきた。どう見ても私が年長者なのだから。
ところで呼び名、呼び方は大切なのだと思う。早くデビューした私はその呼び名で立ち位置をかろうじて確保していたに違いない。35年以上も前のソムリエはゲストからも所属する企業からも大切にされていたような気がする。リスペクトされていたのだろう。それは未知の職業に近い存在だったからだ。誰にもその存在が定かでなかったからだ。ソムリエをやっていなかったら食卓サービスにおける人材育成を志すこともなく、寄稿文をはじめ書籍を出版したり書籍の監修を行うこともなかった。また短期、長期の連載もなかっただろう。世間でいう一流の存在ではないようだがジャッジするのはゲストである。そのライフスタイルも変化し今の時代を迎えている。
最後にSNSでの飲食業界情報は生の声として本当に面白いと思う。近々では「お酒が弱いのでグラスワインが欲しい」というリクエストはノーマルだが,時に「お酒が弱いのでグラスワインの量を半分にして料金も半分に」というリクエストがあるという。そういう人に限って飲み放題になると浴びるほど飲む・・という話だ。この原文には目が泳いだほど笑えた。
yamanoteclub bis
