一昨夜ようやく、「uncle-jamのR&R Diary」をアップすることができた。黒沢君の最後の更新が2月22日だったから、ほぼ50日ぶりの更新。こんなに空いたのは、往復書簡ブログ始まって以来のことだ。

けっして怠けていたわけではなく一度書きかけていたものがあったのだが、あまり今のムードにそぐわなかったのと、僕がなかなか11日以前の音楽バカーンな状態に戻れなくて困っていたのだ。

そんなとき黒沢君がツイッターに書いていた宮城の銘酒「浦霞」が、忘れていたあるエピソードを思い出させてくれた。そのキーワードからみるみる過去の記憶がよみがえってきた。僕はいつも黒沢君にここぞというときに助けられているなあ。興味のある方はぜひ読んでみてください。

http://ameblo.jp/unclejammusic/archive1-201104.html

黒沢君には迷惑をかけたが、やっとつかえていたものが降りたようで、さてつぎはお約束のレポだ。

「サンデー銀次」 3月10日号「祭りのあと」で、ゆっくりとレポするとお約束していた「三都物語」がずっと止まったままになっていた。その3日間があまりにも楽しく華やかな日々だっただけに、レポを立ち上げようとした矢先、11日に起こった出来事で腰をくだかれた形になっていた。
特別な思いから自粛していたわけではない。ただどう描いていいのかわからなくなってしまった。
あの日から心に空いた小さな穴は埋まることなく、前に向いて歩いているつもりでも、ときどきどこからともなくひたひたと沸いてくる、むなしさを押さえることができないでいた。

みなさんに約束した積み残しの、あの3日間を語らずして、僕は前には進めない気がした。そこからなんとか前に進みたい。このままではうきうきmusicが泣くというものだ。

そこで今日から、すっぽり抜け落ちている、3月6日大阪、3月7日西宮、3月8日京都と巡った、銀次の関西三都物語をレポしていこうと思う。そこから何かが始まってくれることを期待しつつ ... 。


3月6日、大阪城ホールで開かれた佐野元春「All Flowers in Time」のファイナル大阪公演は、ほんとうに夢のようなロックイベントだった。
ゲストに、片寄明人、佐橋佳幸、杉真理、スガシカオ、東京スカパラダイス・オーケストラ、堂島孝平、深沼元昭(コヨーテバンド)、藤井一彦(グルーヴァーズ)、山口洋(ヒートウェイブ)、山下久美子、ラヴ・サイケデリコ(敬称略)そしてサプライズ・ゲストに野茂英雄さんという錚々たる顔ぶれ。
まるで「コンサート・フォー・バングラデシュ」や「ラスト・ワルツ」のような、豪華な人たちの参加で、音楽ファンにはたまらない、そして出演者の僕たちにとってもめったにない夢の響宴だった。
僕も栄誉なことに、杉君との「Bye Bye C-Boy」、そしてギタリスト勢揃いの「約束の橋」の2曲で、このハレあるイベントに参加させてもらうことになった。





もちろん中身がすばらしかったのは言うまでもないが、この日僕が一番驚かされたのは、その照明の美しさと、意外かも知れないが、楽屋のヴィデオ・モニターだった。

勝手な推測だが、佐野君はザ・バンドの「ラスト・ワルツ」のイメージを照明に求めていたのではと思ってしまった。ロック・コンサートにしては実にエレガントで趣があり、それがデビューから終始佐野元春が貫いてきた、彼らしいロックの美学を集約しているようで、感慨深かった。

そしてヴィデオ・モニターである。他のコンサートのときのように、楽屋にはモニーターTVがおいてあって、ステージ上での出来事がその場でみることができるのだが、その日はテレビ局が入っていて、送られてくる映像は、見事に曲の構成に合わせてスイッチングされていて、まるでもう編集済みのDVDを見ているかのよう。
うっかりすると自分もゲストだということを忘れてしまうほどだった。おっと、これから自分も出演するのだった。

「グッドバイからはじめよう」という佐野君の曲がある。ニューヨークに旅立って行く前、「Rock & Roll Night Tour」ツアーの最終日のアンコールで彼はこの曲を初めてライヴで歌った。
1983年3月18日の中野サンプラザ。当時ハートランドのメンバーだった僕にとっても忘れられないライブだ。今思えばひとつの区切り、ひとつの節目となった曲だった。
出番を待つあいだの楽屋で、モニターを見ながら僕の脳裏に去来した言葉は、なぜかその「グッドバイからはじめよう」で歌われている「終わりは始まり」というフレーズだった。





モニターを見ながら、このツアーで佐野君の輝かしき、山あり谷ありの30年が終わりを告げると同時に、またここから始まって行く新しい何かの息吹を僕はひとり感じていた。スクリーン上の元春は、決して終わって行く元春ではなかった。

髪には白いものが混じり、声は昔よりも枯れてきているけれど、会場いっぱいに響き渡るシャウトは、心の中に変らず燃え続けるスピリットに支えられ、健在というより、円熟の境地にあった。
真の力強さ、瑞々しさにあふれ、僕の目には、今まさによみがえったばかりの不死鳥のように、メラメラとオーラが彼の体からで燃え上がって見えたのは、単なる目の錯覚ではないと思う。
また新しい明日への一歩が始まったのだという確信があった。

「終わりは始まり」、いよいよライヴが始まった。

                       つづく