「詩」第2弾 | 誰かの為に

誰かの為に

通りすがりでも何か為になる事を
そしてそれが誰かの役に立つと願って

今まで言葉や詩をご紹介してきました。

今回もなかなか意味の深い、価値のある詩だと思います。



死は確実にやってくる・・・

そしてそれはありがたい事でもある。

なぜなら、もし私たちが「死」と言うピリオドを持たないとしたら・・・

つまり、時間が無限に与えられてるとしたら・・・

「生きている中にしておかなければならない事(仕事)」と言うものは無くなってしまうではないか!

今日しようと、明日しようと・・・

日切り無い生活の中では、全てのモノは等価値に置かれてしまうだろう・・・



冒頭で、死に対して感謝の言葉が伺えます。

「ありがとう」と言う表現が適切かどうかは、私的には疑問を感じます。

しかし、これは1つの表現であって、この詩で作者が言いたい事と言うのは・・・

「限りがあるからこそ、そこに価値がある!」

と言う事ではないでしょうか?私はそう言う風に捉えました。





以前、私はアメリカンフットボールをやっていましたとお話しました。

勝負の世界なんかは、意外とこの詩で言いたかった事にあてはまるかと思います。

高校生活なんてたったの3年間しかありません。

アメフトに置いて大きな大会と言うのは「春の大会」「秋の大会」と年に2回しかありません。

(しかもトーナメント方式です)

これが毎月大会が行われていたり、高校生活が10年もあったらどうでしょう・・・?

「試合に勝つ」重要性は薄れると同時に「試合に負ける」重要性も薄れて行くと思います。

つまり、価値がなくなってしまうのです。


上記例題は分りづらかったと思いますが、ようは毎日毎日に意味があるのだと私は思います。

それは「命」に限りがあるからです。

しかも「自分」と言う人間は、世界を探してもたった1人しか居ないからです。

だからこそ、そこに価値があり一生懸命が生まれるのではないでしようか?





100歳になっても、イチローや松井のような選手が生まれるシステムだったとしたら、小さい頃から一生懸命野球に集中出来ると思いますか?出来ませんよね?オリンピックが毎月行われていたらあのような感動が生まれますか?生まれませんよね?

では、何故一生懸命になったり感動が生まれたりするのか???


そこには「価値」があるからだと私は思います。