こんばんは!
「ずっしー。」です!

今日も一日お疲れ様でした!

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押し入れから見付かった三隻の模型のうち、今回紹介するのは空母「隼鷹」でございます。

(真ん中が隼鷹の模型です。)

モデルとなった「隼鷹」は以前ブログに書いていた「冲鷹」と同じ経緯で日本郵船が建造していた太平洋航路用豪華客船「橿原丸」を改装して空母にしていました。元が客船と言う事で速力がやや遅く防御力も弱かったのですが冲鷹と比べて船体が大きく中型空母に匹敵する航空機搭載量が有りましたので機動部隊を構成する一艦として「飛鷹」と共に用いられ、特にミッドウェー海戦で主力4空母を失ってからは翔鶴型に次ぐ活躍を見せていました。(ミッドウェー海戦時は主目標を隠ぺいする目的で行われたアリューシャン列島のダッチハーパーに対する空襲。つまり陽動作戦に「飛鷹型」は用いられていましたが暗号を解読していたアメリカ軍は本来の目標が何で有るかを事前に知っていました。)

その為多くの海戦に参加しており時期に寄って艦容が大きく変わっています。この隼鷹は対空火器類が強化された最終状態のになります。

 

大戦末期も活躍していた隼鷹は船体側面に迷彩が描かれていた事が分かっています。今回塗装するに当たってこの頃の状態にしようと思ったものの説明書に載っているは一般的な塗装図のみ。ネットで調べても「瑞鳳」と時と違って詳細な迷彩図が見付からない。

止む無く瑞鳳と同じ感じで側面に商船風のシルエットを描く事にしましたが同じ緑でも何色を塗るべきなのか?明るい緑が使われていたそうなので色の配分は瑞鳳の時よりも薄い方へ全体的にシフトさせました。こうして、


隼鷹に関しても塗装出来ました、(塗装レベルは今回もヘタクソながら。ちょっと明る過ぎた感も有り。)

 

また飛行甲板に関しては迷彩が無かった様なので塗装は楽だったのだけど昨日の「大鳳」のブログで触れていた通り、灰色とタンの塗分けをする際に貼っていたマスキングテープが塗装していた箇所を一部剥いでしまうというトラブルが起こりまして二度塗りが必要となりました。三段空母時代の赤城の飛行甲板を塗装する際に同じ事をやっていたけれどこちらは問題無かった。隼鷹は塗料との相性が悪かったとしか。

その為マスキングテープ必須の飛行甲板上のセンターライン等を引く作業がやりづらくなってしまいました。

瑞鳳に付いては余っていた祥鳳分のデカールを転用してラインを表現したけれど余りは殆ど残っていない。大鳳と隼鷹については今後何かのモデルを作って余ったら転用を考えていたけれどそれがいつになるか分からないので結局マスキングテープを貼らずに手描きでラインを描きました。

結局三連休の殆どをこの作業に費やしてしまったけれど作業を終える事が出来て良かったです!!!

 

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最後にこの隼鷹は生きて8/15の終戦の日を迎えた数少ない艦船の一隻でした。

大鳳が初陣を飾ったマリアナ沖海戦にも参加しており海戦の結果、大鳳、翔鶴、そして僚艦の飛鷹を失い、爆撃被害を受けていたものの瑞鶴と隼鷹、及び龍鳳は生還。その後行われた輸送作戦に参加していた隼鷹は潜水艦から放たれた魚雷2本を右舷側の艦首と中央付近に受け右舷側機械室が浸水し使用不能に。片側のスクリューのみで何とか帰還出来たものの相次ぐ空襲や資材不足の影響で機械室の修理が行えず満足な外洋航行が出来ないまま佐世保港に係留されていました。もし早い段階で修理が終わっていれば機動部隊最後の戦いとなったエンガノ岬沖海戦か、戦艦大和と一緒に沖縄を目指していたかも知れません。間違い無く参加していれば生還は望めなかったと思います。

 

上記の理由で戦後に行われた復員作業に従事来ず隼鷹はそのまま解体される事になりました。客船から空母への改装は徹底して行われていた関係で元の客船へ戻す事は不可能に近く、解体で出た資材は戦後日本の復興を支える礎となったのです。

もし誕生したのが戦争と無関係な平和な時代だったら太平洋航路で大活躍していたでしょうね。

ちなみに同WLシリーズでは当初の計画通り客船橿原丸として完成していた場合の模型も発売されていました。ところが最近見掛けない様で製品ラインナップから外されてしまったかな?

私は橿原丸を作った記憶が有るけれどひょっとしたら実家の方の押し入れに眠っているかも知れません。今度帰省した際に探してみようかと思います!!!


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それでは、、、
明日も一日頑張りましょう!!!

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「ずっしー。」・・・(5017)