片付けがはかどる方法の管理人です
片付け、はかどっています??
片付けを気張り過ぎると、少しばかり心に毒なので
当サイトでは、隊員のエピソード、こぼれ話
決して他人に伝えたくない恥部、
さらに片付けとは、直接関連しないかもしれませんが
当隊が、皆様とシェアしたい情報などを公開です。
今から150年前、
薩摩藩の西郷隆盛と
長州藩の木戸孝允(きどたかよし)が
京都で会談して締結し、
両藩が倒幕へと突進む出発点と
なったとされる”薩長同盟”ですが
最近は、軍事同盟ではなかった
との見方が浮上しているのです。
薩長同盟は、1866(慶応二)年、
京都市上京区にあった薩摩藩の
小松帯刀(こまつたてわき)邸で締結。
歴史上、この同盟が画期的とされるのは、
”八月十八日の政変”や”禁門の変”などで
直接砲火を交えた薩摩と長州が、
この時、幕府を倒すために初めて協力して
軍事的行動を起こす約束を
したとされるからなんですね。
戦いに敗れた長州の恨みは深く、
薩摩藩を”薩賊”と呼ぶほどでしたが、
土佐藩の脱藩浪士だった
坂本龍馬と中岡慎太郎が仲介。
歴史ドラマなどでは、朝敵の汚名を
着せられて窮地に陥った長州藩を救うため、
坂本が渋る西郷隆盛を説得して会談を実現。
二大倒幕勢力がようやく手を結ぶ
場面として描かれることが多いかな。
だが、その実情はかなり違うようです。
当事者の木戸孝允の手紙によると、
この時の合意内容は、
☆1 徳川方と長州戦争が起きた際には
薩摩は2,000余の兵を京都に
のぼらせるなどして京阪で兵力増強を図る。
☆2 戦争が長州に優勢、敗勢、
開戦に至らぬ場合を問わず、
薩摩は朝廷に対して尽力する。
☆3 ”橋会桑”が現在のように朝廷を擁し、
正義を拒んだ場合には決戦に及ぶ、など。
この頃、朝敵とされた長州藩では、
藩主の毛利敬親(たかちか)親子が
官位の停止処分を喰らっていました。
これって、大名としての人格を
否定されたに等しい事態なんです。
なので、『官位回復のため、薩摩が
朝廷に働きかけてほしい』というのが
会談の主目的みたいですね。
障壁になっていたのが”橋会桑”当時、
禁裏守衛総督(きんりしゅえいそうとく)だった
一橋慶喜(後の徳川幕府十五代将軍)、
会津藩主で京都守護職の松平容保(かたもり)、
桑名藩主で京都所司代の松平定敬(さだあき)の
3人。
兵力増強は幕府に向けてではなく、
3人に圧力をかけるためであり、
なお邪魔するようなら薩長が武力で
排除するといった事態もおこり得る。
文中にある『決戦』はその程度の
意味と解釈すべきなんです。
実態は毛利家当主の官位復活をめぐる
覚書であり、倒幕を意図した軍事同盟などと
大仰な物とは言えないのです。
『薩長盟約』
『薩長の政治的提携』と呼ぶのが
適切なのかもしれません。
実際のところ、同盟という言葉は
当時の一次史料のどこにもないです。
内容も薩摩がすべきことのみが列挙されており、長州の要望を薩摩が聞入れただけの
ようにも読めます。薩摩やさしい~。
柔らかな気分のまま続きます。
我々片付け隊は、常に貴方の
隣に寄り添い、片付けの方策を
伝え続けていきます。
これまでも、これからも。
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