感動的なヘアピンカーブ!!日光いろは坂を片付ける2 | 片付けがはかどる方法 外伝

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さらに片付けとは、直接関連しないかもしれませんが
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続きです。

1872年、奥日光を旅した後、
サトウは英字新聞に日光案内記を連載。

三年後には英文では初の
”日光ガイドブック”(ジャパン・メイル社)を出版。

すでに有名だった箱根を引合いに、
中禅寺湖をこう絶賛していました。

”箱根の湖よりずっと絵のようにうつくしい”

外国人として奥日光の魅力を伝える
船頭役を引受けたようですね。

それに応じ、多くの外国人が奥日光を訪れ、
魅了され、さらに口コミが広がる。
今風で言うFBの”いいね”ですかね。

例として、ベルギー公使夫人メアリー・ダヌタンは、
アルプスの名勝を連想したと日記に記しています。

”イタリアのコモ湖の風景が
私の心の中に浮かんできた”


時が経ち、中禅寺坂も徐々に整備され、
交通手段は徒歩や山かごから馬、人力車へ進化。

1890(明治23)年には、
東京から日光まで鉄道が開通。

この前後に、現在のいろは坂の原型となる
つづら折りの新道も開通したのです。

ちなみに現在の”第一いろは坂”は1954(昭和29)年に、
”第二いろは坂”は上り専用として1965(昭和40)年に
完成のあかつきを浴びました。


やがて”いいね”が増え(笑)
各国の外交官たちが湖畔に別荘を構え、
最盛期には40戸ほどに達したようですよ。

湖畔は人種のるつぼだったでしょう。

この湖畔別荘のブームの先陣を切ったのもサトウさん。

日本を一時離れた後、1895年に全権公使として
12年ぶりに赴任したサトウは翌年、
最も眺望が良い湖の南岸に別荘を建設。

ちなみにこのサトウさんの祖先は、
現在のドイツ・ヴィスマール北東の
サトウ(Satow)村付近の出身。

つまり”佐藤””左藤”姓とは全く関係なし。

この公使時代の約五年間に、
サトウは奥日光を31回も訪れ、
滞在期間はのべ218日にも。

”夏場は外務省が日光に移る”

県が作成した、観光ポスターで使われています。
日本の外交が、栃木県の山奥で行われていたとは。
確かに想像力をかき立てられる言葉ですね。

実際には、公使日記をみても、
東京での公務中のように日本の要人と
会った形跡は見当たりません。ま~当たり前ですね。

サトウも通訳官として幕末明治維新に
立ち会った若いころと違い、

英国の全権代表としてゆとりをもち、
大好きな植物観察や登山を満喫していたのでしょう。


実はとっても奥が深いいろは坂を片付けました。

我々片付け隊は、常に貴方の
隣に寄り添い、片付けの方策を
伝え続けていきます。
これまでも、これからも。

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