珍しく、私個人が考える障がいという状況について真面目に記載します!

 

 

 

なので、真面目が苦手な方や周りに障がいをお持ちの方がいらっしゃらないなど、ご興味のない方は、読み飛ばしちゃってくださいね─=≡Σ((( つ•̀ω•́)つ

 

 

 

〓 病気と診断されるまで 〓

 

私は、クーゲルベルグ・ウェーランダー病リウマチと共存しています。

 

 

小学校4年生(頃?)の運動会の徒競走で走り方に違和感があると気がついた両親(本人の自覚は皆無)。

 

翌年5年生(頃?)の運動会の徒競走にて様子がおかしいと思ったが、それ以外に違和感はなく、そもそも当時、障がいに対しての知識や可能性すらも考えるはずもなく、私の自覚がなかったこともあり、放置。

 

中学生になり、徐々に階段の昇りに若干の違和感を感じる。

ほら、中学生くらいから、朝礼?的な開催の時って教室から椅子を持っていくでしょ?その時に感じたんですよねー、手すりを使わないと椅子を持って上がりにくいって・・・

 

その後、高校1年生の時に筋細胞を摂取し検査。

 

結果は、クーゲルベルグ・ウェーランダー病と診断される。

 

 

その後、徐々に筋力が低下しつつも、徐々に・・・のため本人に特段違和感がなく、出来ないことが1つずつ増えているのも3年4年前と比較しなければわからない程度。

「あーそういえば、これって出来てた!」みたいな(笑)

 

 

また、過酷な労働環境による手首の痛みや腫れが取れず、毎日痛み止めを服用していたが、やっと行くことが出来た数年越しの病院での診断はリウマチ。


手首ボンボンな感じで毎日仕事してました(笑)


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ドラえもんみたい(笑)


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〓 出来ないことが増えていく恐怖 〓

 

今まで出来ていたことが、確実に出来なくなっていると実感した時の恐怖。

 

これは言い知れぬ不安にかられますねー(笑)

 

 

私の場合、今は徐々にのスピードが早まっている気がするのと、昨年末の骨折の影響が大きく出ている気がします。

 

 

出来ていたことが出来なくなった時、機会があれば別ですが、わざわざ人には言いません。

 

だからかもしれませんが、介助する側から見ると「あれもそれも自分で出来ることも頼まれる」という印象を与えていることもあると思います!


 

まぁ私の場合は、そのうちの80%、障がいが関係なく、私のワガママかもしれませんが(笑)

 

 

 

〓 障がいの定義・基準 〓

 

『障がいの定義・基準』は人によって異なります。

 

そしてそれは意外と身近なものであり、障がいかどうかは自分の心が決めることだと思います!

 

 

例えば、何度も洋服を裏表間違って着てしまうこと、目が悪い(メガネの方)、天然パーマ、不器用、体が硬い、テレビのクイズ番組でおバカキャラと言われるような方々も、見方を変えると障がいと言えるのではないでしょうか?

 

そう思っている私だったからこそ、今まで気がつかなかったことがあったのです。。。

 


 

 

〓 私が抱える最近の悩み 〓

 

自分が感じている葛藤は、、、

 

どこかに行く(何かをする)時、1人では困難。

また、場合によっては付き添いをお願いする方の分の旅費等のお金がかかるので、費用が倍以上かかるってこと!

 

こればっかりは、どうすることも出来ません。

 

 

でも、お客様や知人と出かける時、実際には少なからずとも介助をお願いすることが前提になります。

 

 

そうなると会いたい気持ち、行きたい気持ちがあっても、誘うという行動に移すことは難しいのです!

 

もちろん周りは「大丈夫」「サポートする」と言ってくれるのですが・・・

 

私の中ではそこに関してまだ割切ることが出来ません・・・

 


 

 

〓 障がい者の今後について 〓

 

上記にも記載しましたが、私は、徐々に筋力の低下等が見られ、足が上がらなくなってきたり、力が入らなくなってきたりと、病気の影響が次第に出てきています。

 

それは自分が一番感じる違和感であり恐怖でもあります。

 

 

ですが、進行性の場合、年を重ねるにつれ、出来ないことが増えていきますが、介助人はその感覚をお持ちの方ばかりなのでしょうか?

 

わかりやすく例えると、出来ないことが増えている障がい者と同様、介助を必要とする範囲や頻度も増えてくるという比例式になっているということです。

 

 


弊社の事業の一つである、共同生活援助(グループホーム)では、今まで介助する家族の方の負担を減らすことのニーズが高いと思っていた私。

 

ですが、介助する家族側の比例の意識が足りなければ、介助を受ける障がいをお持ちの方と介助をしてくださる家族側の溝が深くなっていくのではないかと考えました。

 


 

 

その理由と経緯はシンプルです。

 

 

例えば、家族(身内)だからこそ、今まで見てきた行動範囲がベースになるため、出来ないことが増えてきた障がい者にお願いをされた時、「今まで出来てるんだから、自分でやりなさい」という意識を全く持っていないと言えるのでしょうか?

 


無理だと思います。


だって、何が出来て何が出来ないか分からないんですから。


少なくとも何が出来ないことなのか分かるまでは・・・

 


 

介助を必要としている方は、仕方ないとはいえ、出来ないことをわかってもらうまでに受けるであろうその言葉に耐え続けることが出来るのでしょうか?

 

私だったらショックで悲しくなります・・・

 

 

 

結局は、お互い通じ合っていないと傷つけ合う可能性があったり、それってとても悲しくて、解決できないかな・・・って思った時に、共同生活援助(グループホーム)があるのだと思ったのです。

 

 

介助する側には、ちょっぴり介助の休憩を!

 

介助を必要とする側には、ちょっぴり心の休憩を!

 



 

そりゃー他人と暮らすなんて・・・て初めは思うかもしれませんが、今の時代、シェアハウスって普通じゃないですか!?


 

ましてや一軒家タイプで、介助(お手伝いさん)付きシェアハウスって考えたら、セレブじゃないですか!?

 


 

弊社では、アパート(個室)タイプも準備すべく物件を探していますが、大家が貸してくれないんですよね。


 

障がい者は、他の入居者に迷惑をかけるから・・・って。

 

 

 


なまらウケません?

 

 


 

じゃあ、酔っ払って騒ぎながら帰宅する住人もゴミをきちんと捨てられない住人も駐輪場にきちんと停められない住人もみんな障がい者じゃーん(笑)

 

 



こんな社会だからこそ、Gimpluencerという造語や共同生活援助(グループホーム)などを通じて、障がいっていう概念を変えていきたいと思っています✧*。٩(๑•̀ ▿•́ ๑)૭✧*。

 

 

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