宗教的権威はなぜ腐敗するのか | gildongのブログ

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復帰摂理を見ると、中心宗教の腐敗率は100%という結論に帰着する。


初臨のメシヤを迎えるために神が準備したイスラエルは、既存の宗教的権威に執着した洗礼ヨハネや律法学者がこぞってイエスを不信し、十字架につけて殺害してしまった。
宗教的権威に固執するあまり、それを失うことを恐れ、その宗教的権威を解体して神の国を成就しようとするイエスの真意を理解できず、宗教的権威に敵対する脅威と見なしてしまったのである。


霊的に復活したイエスによって立てられたキリスト教は殉教の歴史に耐え、ついにローマ帝国で公認されるに至ったが、それまで一般的であったキリストを一人の人間と見るアリウス派の主張が、にわかにキリストを神と見るアタナシウス派によって覆され、再臨摂理にまで影を落とす三位一体というドグマが生まれた。


なぜ、ユダヤ教と同様に唯一神教であったアリウス派が異端として排斥されたのか。それは、キリスト教がローマで皇帝以上の権力を手中に収めるためには、イエスを神格化する方が都合が良いという政治的意図、宗教的権威に対する貪欲が背景にあったと推察される。その意図は実り、ついにはローマ帝国の国教になったが、世俗権力と結びついた宗教的権威はその時点で腐敗を運命付けられ、中世暗黒時代を招来した。


キリスト教の腐敗が極限に達したのが、贖宥状すなわち免罪符の販売である。もともとは十字軍参加者に贖宥(罪の許し)を行ったが、従軍できない者は代わりに寄進したのが始まりだという。宗教的権威が腐敗する典型的なプロセスと言える。教皇レオ10世がサン・ピエトロ大聖堂の建築資金を調達するために、贖宥状購入者に全免償を与えることを布告したが、これが宗教改革の引き金になった。


宗教改革を通じて聖書が普及しキリスト教は400以上の教派に別れ、民主主義の治世となったのは、単独の絶対的な宗教的権威が生じないようにするためだったかもしれない。しかし、どんなに規模が小さくても、宗教的権威は存在しうる。再臨主を証しすべき立場にあった小さな教派の主催者は、洗礼ヨハネと同様に既存の宗教的権威に固執し、それを守るために、再臨主の教示を横取りした挙げ句に排斥した。


再臨主を迎えるべき国は2つに分断され、一方は神無き宗教的権威に支配され、他方には、キリスト教を代身する立場で世界基督教統一神霊協会が創立された。これは、再臨主を証しすべきであったあの小さな教派に代わるものとしてではなく、400以上に分かれた教派を普遍的真理で統一に導くために創立されたことが、協会創立宣布に関するみ言からも明らかである。


協会創立宣布(1954)
一九五四年に、私は韓国のソウルにおいて正式に統一教会を創設しました。
一九五四年の五月一日に、劉協会長を中心として、幾人かの食口が、北学洞の小さな家で看板を掲げて出発したのです。
私は教派をつくろうとしませんでした。名前は「世界基督教統一神霊協会(Holy Spirit Association for the Unification of World Christianity) 」なのですが、それをつくろうとしたのではありません。教派を超越した超教派的な面において運動をしようとしたのですが、受け入れなかったのです。それで仕方なく、統一教会をつくったのです。


その後40年の時を経て、仕方なくつくった統一教会の看板を降ろし、宗教的権威に依存しない「家庭」の「連合」を創設し、再臨の目的が、宗教的権威を必要としない各家庭を通じて定着して行くように導かれたことは、下記のみ言からも明らかだが、この家庭連合の創設は、悲しいかな、単なる看板の掛け替えに終わってしまった。


世界平和統一家庭連合(1994)
統一教会は、40年の峠を越えると同時に「世界平和統一家庭連合」をつくりましたが、それを成し遂げるためには絶対的規約が必要です。その絶対的規約、憲法のようなものが、「家庭盟誓」なのです。「家庭盟誓」という言葉は、歴史にありません。天国に向かう、天国を完成する「家庭盟誓」です。
(264-245, 1994.11.3)


世界基督教統一神霊協会の使命が終わることにより、宗教の使命が終わり、人類史上初めて宗教を必要とせず、救援を必要としない新しい時代へ入っていくのです。「家庭連合」は、家庭を理想家庭につくりあげて、神様の創造理想を復帰完成し、天的理想世界を立てるのです。(1997.4.8, 韓国)


このみ言の意義は極めて大きい。家庭が直接神様を迎える時代に、まだ見ぬものを無理に信じるような信仰は必要ない。各家庭において現実的に創造目的を果たしてゆくべき時代には、人類規模の天国をなしていくためにこそ「連合」の存在意義がある。そこに他者を隷属させようとする宗教的権威は害となる。結局、宗教的権威から脱却するという本来の目的は理解されず、むしろ宗教的権威ばかりが強調されるようになってしまった。


宗教的権威の恰好の例は清平役事である。百歩いや百万歩譲って、万一、金孝南氏が真正なる霊能者であったとしても、その宗教的権威に服すれば、祝福中心家庭は天一国主人としての位置を失うのではないか。金孝南が売り歩く祈願書と、レオ10世が販売した免罪符となんの違いがあろうか。宗教的権威にすがるものは、宗教的権威の奴隷になるだけだ。


2001年神様王権即位式以降の12年は、祝福中心家庭が自分の名前で報告する時代に移行した。祈祷ではない、「報告」。ここに、一切の依存を捨てよという再臨主の強くそして切実な願いがあった。父母は子女がいて父母であり、真の父母なら真の子女がいなければならない。真の子女がいない父母は、もはや真の父母ではない。独り立ちできない子女は真の子女になれない。真の父母が人類の真の父母だというなら、人類を象徴する数(例えば144,000人)の真の子女がいなければならない。


対等な価値(天聖経・真の家庭と家庭盟誓より)

天宙の中心家庭は、アダムとエバです。アダムとエバがその中心家庭であり、代表家庭です。代表は一つしかありません。中心も一つです。それが種です。アダムとエバが祝福を受けて結婚した家庭の種です。その家庭の種はすべてイコールです。皆さんの家庭も全く同じでなければなりません。


「祝福を受けた家庭は復帰された家庭だ」と言うとき、アダム家庭とその内容の価値は違いますか、同じですか。皆さんの家庭に行けば、皆さんの家庭は家庭の王宮です。また、氏族の王宮であり、国家の王宮であり、世界の王国であり、天宙の王宮です。皆さん、男性に尋ねれば「王になりたい」と答え、また女性に尋ねれば「女王になりたい」と答えるでしょう? いったいそれはどういうことでしょうか。本来のアダムとエバは、王であり、女王だったということです。


世界を代表し、宇宙を代表するのです。家庭を代表するのはもちろんのことです。王と女王です。それが種です。皆さんはその結実です。実というものは、同じ種から出てくるのです。種と同じ価値をもっているのです。同じ脈絡です。皆さん、男性と女性の二人を連れていって植えつけておけば、堕落しなかったアダムとエバになり、家庭の王国、国の王国、天上・地上天国の王国の基地となることができると思いますか。統一教会で真の父母を通じて祝福を受けた家庭がそのような対等な価値をもたなければ、雷に打たれるのです。


このような時代的変化を悟ることができず、統一教会は宗教的権威を振りかざした挙げ句、真の子女を排斥し、再臨主を殺害してしまった。天一国を準備すべき12年において、宗教的権威の傘の下で世俗的利益を享受していた奸臣たちは、家庭連合に移行することによる宗教的権威の喪失、既得権益の喪失を危惧し、あらゆる権謀術数を駆使して、奸臣の、奸臣による、奸臣のための邪教「統一教」をつくりあげた。


四大聖人を模した偶像建立、真の父母の死を祈願する黄金の父母像、生前葬のような聖霊治癒礼拝、創価学会からヒントを得たお題目の連呼、再臨主を呪う七死復活セレモニー、再臨主のみ言を封じ込めた天福函(再臨主はみ言の実体なので、再臨主を閉じ込める棺桶といえる)、聖別能力のない天福塩、天福提灯、天福まんじゅう、・・このような狂った悪魔の宗教に興じていたのは何時のことだろうか。もう忘却の彼方に行ったのだろうか。亨進氏を宗教的権威として礼賛していた公職者は、それが廃絶された時、どのように弁明しただろうか。食口を誤誘導した責任をとって辞職した公職者が一人でもいただろうか。彼らに良心はあるのか。


再臨主を殺害した奸臣たちは、呼吸器も外れる前に、み言の改竄に着手した。正確には、み言の中に現れた犯罪証拠の隠滅に着手した。彼らが本当に改竄したかったのは天聖経ではなく、み言選集であろう。実におよそ1巻分に相当する内容が削除され、奸臣たちに都合の良いように改修された。再臨摂理を奪取した歴史を正当化し、自分たちの身分を保全する憲法を作るのだそうだ。そのような悪事が全て○○の名の下に遂行されている。


このように概観して見るなら、結局、宗教的権威とは、その崇拝対象を崇めているようで、実は、全くそのような意図とは裏腹に、宗教的権威を掲げる者たち自身の権威を主張しているに過ぎないということがわかる。


真の父母様宣布文を偽造し、それに絶対服従しろと居丈高に叫ぶ奸臣や公職者たちは、宣布文の文面が真の父母をその位置から引きずり降ろすものであることにも気付かなかった。永遠に命令し続ける真の父母は、全人類を永遠に僕ととし、一人の子女も立てられない、立てる意志のない独善的な支配者に過ぎない。まだ分からない思考停止人間がいるなら、雷に打たれる前に、上のみ言を読み直すべきだろう。


真の父母様宣布文は、もはや宗教とも呼べない下劣なものだったが、生前の文先生にあやかった宗教的権威を主張する道具であった。真の父母への絶対服従という、原理に無いお題目を掲げた奸臣たちは、1年も経たないうちに、文先生の「手をつけては行けない」という遺言に従う代わりに徹底無視して、何の躊躇いもなく改竄改悪した。改竄天聖経、偽造平和経、虚飾天一国憲法、これらは全て宗教的権威の象徴であり、奸臣たちが権力を行使し、利権を貪るための道具に過ぎない。天福函は黒塗りだったが、この度の改竄天聖経等は螺鈿細工を施した仏壇のような観音開きの木箱に収められている。


現在の宗教的権威の象徴は韓総裁であろうが、他にいくらでもある。三弟子の金栄輝先生は宗教的権威として利用するのに好都合な「ビッグネーム」だった。もう一人のビッグネーム、宣布文の時に重用された、パク某氏は、実の息子と財産争いを起こしていることでお役ご免となった。ビッグネームを掲げて礼賛し、その権威にあやかろうという文化が統一教会の中に、上から下まで脈々と息づいている。ビッグネームを称えているようで、実は自分の権威を主張している。そのような文化が根強いことに閉口する。敬礼を何百回しましたというのも宗教的権威の類型と言える。イエスは、断食中であることを見せつけたパリサイ派を偽善者であると一喝した。


イエスの三位一体を主張し、神の位置に祭り上げた神学者たちは、実はイエスとも神とも出会っていなかったという結論に帰着する。真の父母を神格化する公職者たちも、残念ながら神から離れていると言わざるを得ない。神の心情が分からない人は、神に出会っていないのである。なぜなら、神の本質は心情であり、人間の本質もそこにある。


霊界におられるイエス様の悲しみは、クリスチャンたちの心が神以上にご自身に向かうことであり、それにより、再臨が看過されてしまったことである。それはイエスを神格化し宗教的権威にしてしまったことに起因する。統一教会は、霊界におられる文先生の意志を蔑ろにして、韓総裁を祭り上げている。


宗教的権威は神を疎外する。

神に向かっているようで、実は人に向かっている。

宗教的権威が主張された時点で、すでに神は忘れられている。

宗教的権威は人々の心を神から遠ざけ、

神様の下の一家族という創造理想を疎外する。



先に引用した1997年のみ言は肯定的な意味で、宗教の終焉および新時代への移行に言及されていたが、それから11年経過した下記の2008年のみ言では、本来終焉しているべき宗教が残存し摂理を妨げていると認定されている。


エデンの園に宗教はありませんでした。

国はありませんでした。ですから、宗教を片付けてしまうのです。

この宗教が、カイン・アベルで血を流すようにしたのであり、

そこに相対する立場のつまらない文化に乗って世界を支配しようとしました。

それは違います。(本来は)文化は、正午定着し、

昼の時間になって影が無くならなければならないのですが、

歴史と共に正午定着していない文化が広がり、

その文化にそのまま乗って自分の所有権を継続しようとしたので、

統一教会がここに引っ掛かっています。
(2008.4.6 ハワイ・キングガーデン)



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