ぎふ障がい者きょうだいの会について②

(ぎふ障がい者きょうだいの会代表:原)

 

【障がいのある弟ともう一人の弟のこと】

 僕には10歳離れた知的障害のある弟がいます。はじめに弟の障害のことを知ったのは、弟が生まれて少し経った頃、母親から「この子には脳に障害がある」と聞いた時です。

  三十数年前の当時、知的障害者はまだ「知恵遅れ」と呼ばれていました。その頃僕は小学4年生でした。1歳半を過ぎても全然歩けない弟の成長の遅れを見て、子ども心に心配になったのを覚えています。2歳になってようやく歩けるようになったときは、家族みんなで喜び合いました。弟は、成長が遅いながらも元気に育ち、周りの友達とも仲良く遊び、成長していきました。

 

  弟のことで悩んだのは、弟が小学校2年生の頃です。当時、僕は高校3年生でした。弟は普通学級に通っていましたが、学校の勉強についていけなくなり、周りの友達にもついていけないことが多くなりました。緊張で登校中にお漏らしをして、いじめられることが増えました。

  その時そんな弟を連れて学校に登校していたのが、知的障害のある弟の3歳年上(僕からは7歳下)のもう一人の弟です。その弟も障害のある弟のことでいじめを受け、学校に行くのがつらくなって不登校になってしまったのです。その時、母と一緒に悩み、障害のある子と家族がどうしてこんなに苦しまなければならないのか?という疑問を持ちました。それが大学で福祉を学ぼうというきっかけになりました。

 

  知的障害のある弟は、その後、小学校3年生から普通学級から障がい児学級に移りました。障がい児学級に行ってからは、自分のペースに合わせて授業を受けられるようになり、緊張もなくなり、いじめられることもなくなり、明るく元気な姿に戻りました。

 一方で、障がい者学級で支援を受けられるようになった知的障害のある弟とは違い、「健常者」である弟は、「お兄ちゃんだからがんばってね」と周りから期待ばかりをかけられました。障がいのない「きょうだい」であるもう一人の弟への心のケア必要性を、当時は充分に理解されていなかったのです。「健常者」である弟は、そんな周りの期待を背負い、いつも我慢しなければならなかったのです。

 

  僕にとってこの時の経験は、福祉という将来の道を開くきっかけになりました。一方で、もう一人の弟にとっては、この時のつらい経験は心の傷になっていたのではないかと思います。

  障がい者のきょうだいについて、僕自身はそんな複雑な思いを持っています。