こんにちは。
ママの実践ギフテッド教育のHiromiです。
このブログでは、”ギフテッド”という人間の持つ傾向についてお話しており、
その傾向についての啓蒙活動をしています。
その”ギフテッド”という傾向はどんな傾向なのかということで、
ギフテッドの傾向の人についてお話したり、記事に取り上げさせてもらっています。
医師や学者など、”専門家”という人に認定されることがギフテッドだと勘違いしている人が多くいるのですが、
専門家って・・・・誰??
自称の専門家なら、誰でも専門家になれますからね。
もちろん、なーんの資格のない私も自称、ギフテッド専門家
あら、だって、ギフテッドという傾向について、専門家として資格を与える権限など、一体、いつ、どこのだれがどんな基準で、承認して、与えましたか?
世界中探しても、そんなのありませんよ
もちろん、アメリカにも
勝手に立ち上げたコースを作って、勝手に試験を作成し、勝手に合格範囲を決めて、資格を出すのは、国の許可なんかなくても、だれでも自由ですからね。
ですから、日本もですね、どんどん、じゃんじゃん、ギフテッドという傾向について、
もっとオープンに受け入れて、民間に浸透していってほしいなということで、私はがんばっております!
わざわざ、ギフテッドという傾向をお医者さんに認定されるっていうのも変な話です。
医者って、病気を診断したり治療をする専門です。
ギフテッドという人間の傾向について、治すとか、原因を知っているわけじゃないのに、なぜ、医者がギフテッドの診断するの?
ギフテッドというのは、病気や障碍の名称ではなく、人の傾向です。
これは、ギフテッドを病気や障碍といっしょにしないでくださいというニュアンスじゃなくて、
医者が診断しなければならない状態ではないという意味です。
病気や障碍がない人は、病院に行かないのですから、
医者がギフテッドという傾向について、詳しく知ることがあるとするならば、
それは、何かの病気、病気を治すための治療が必要なギフテッドの方が診察を受けたケースをもとに、
ギフテッドという傾向を、診察中において見知っているだけのことです。
ギフテッドという傾向は、治す必要もないですし、
治そうとして治すことじゃないんですから。
また、ギフテッドという傾向について研究をしている学者の方はいると思いますが、
どうも、何か特別な括りを作って、特別な子供ということを主張されたご意見が多いと感じるのは、
私の思い過ごし?偏見なのでしょうか?
私は自分の家族や子供を育ててきて、実際にギフテッド教育を受けているお子さん達の前後も見てきてますが、
ギフテッドに関する専門家の方々の意見、学者の解釈には、どれほどの意味があるのか?
それらの意見や解釈がどれほど、当事者に役に立つのか?と考えた時、
それは学校の教科書とたいして変わらないと感じるのです。
決して無意味じゃないんですよ。
学校の教科書と同じように参考になるけど、崇めて、妄信するほどのものはないのです。
だから、私のブログにおいても同じことが言えますが、
気をつけたいのは、
もしも私が名声のある学者だったり、
有名人だったら、
途端に、これは素晴らしい教育だとか、これは正しい考えだとか態度を一変させる読者。
私の知名度や成功の程度で、
ギフテッド教育について信頼をしたり、支持する考えを持ち、
私の言葉や行動に賛同&共感をする人。
イイねのボタンがいっぱいある記事だったり、
フォロワーさんの人数で、
その人をジャッジしてしまう人っていますよね??
そういう人が大多数でいるから、ブロガーさんも一生懸命、いいねを押してもらえる記事を書こうとがんばったり、
フォロワーさんを増やすために、アレコレと宣伝したり、営業したりするわけです。
でも、私は思うんですが、ギフテッドという傾向は、どのみち、孤独なんですよ。
人気があればあるで、大勢のなかで浮いているために孤独
みんなと違う考えや意見、行動があるために疎外され、疎まれ、孤独。
あるギフテッドの方が、寂しい、寂しいと繰り返し口にされていたのですが、
孤独を恐れないでほしいです。
孤独を寂しいと感じるから、怖いと思うんですよ。
孤独って、実は、人間は、みんなもともと一人なんですから。
自分だけが孤独だと思っているから、寂しいと思うのです。
お友達がいっぱいいて、
家族がいっぱいいたら、
きっと自分はハッピーで寂しくなくなるという期待があるから、
その状態にない自分がみじめになり、寂しく感じるわけです。
でもね・・・・
そんなの・・・・幻想ですから。
フォロワーさんが何十万人いても、
それは、自分のお友達じゃないんです。
FBでお友達が何万人いたとしても、
その何万人の友達と、実際に私生活を共にしたり、心の悩みを打ち明けることはできません。
打ち明けたところで、だれもが親身になってくれるわけじゃないし、そんな愚痴話など知らんわ!と言われちゃうかもしれません。
確かにね・・・・私も、他人の噂話だとか、関係のない人の不倫話や夫婦喧嘩など、聞いている暇ないよ!って思ってますからね。
自分が思うことは、他人だって思って当たり前ですよ。
今、私のなかで、実際に”友達”と呼べる人は、一人もいませんが、
それは私の人格がよっぽど悪くて、
人から嫌われているから一人ってことじゃないんです
友達と呼べる基準のようなものは、人それぞれに違うから、
自分が友達と思っていても、相手も同じ気持ちとは限りません。
つまり、友達の存在って、あってないようなものですから。
心を砕いて、何でも話せる友達だと思っていたら、
こっそり裏で悪口をバラまかれていたなんてことは、だれもが一生に何度かは経験することです。
学校を出ても、職場や子供の学校関係、ご近所との人間関係で、ざらにあります。
そこで思うのは、人は、結局、みんな一人なんですよ。
アイドルがどれだけ頑張って練習し、歌い、踊り、人気があっても、
悪口を言う人って、必ずいるんですよ。
そして、アイドルの人気が一生、同じままに継続するということもありません。
人気稼業に限らず、ビジネスにおいても、必ず浮き沈みはあります。
そうしたら、私にような一般人が、ブログを書いたところで、
注目もなければ、何の反応がないのは当たり前です。
たまに悪口を言われても、そこに自分がダメな人間だとがっかりする必要なんてないし、
逆にがっかりする自分がいるとしたら、
よっぽど奢っているのではないでしょうか
もちろん、
”どうせ私なんて・・・・誰からも注目されなくて当たり前だから”
と開き直っているようでは、それも人間として成長ができません。
今、もしも、自分が思うように結果が出せなかったり、
周りに自分と同じ状況や環境に共感する人が居なくても、
それを寂しい、悲しいと感じてばかりでは、その状況を抜け出すことができないのです。
なにかを変えて、変化していくから、状況も変わるし、抜け出すことができるようになります。
自分が注目されて、他人から認めてもらうことが楽しいと感じるのは、それは、他人から認めてもらわないと確信がもてない自信の無さがあるから、自分への承認欲求が強くなるのです。
これがあるから、他人の評価に依存するようになってしまうんです。
芸能人の方が、ドラッグや飲酒、ギャンブルなどに依存しやすいのは、人気稼業という、自分への注目度が収入に繋がり、価値として評価されるために、常に人の顔色を窺い、不安に苛まれてしまうんです。
自分が注目されたり、他人から認めてもらうために、自分じゃない自分を偽る必要なんかありません。
自分が楽しいと思うこと、他人を喜ばせることが楽しいと心底から思えたら、何かを信じようと依存する承認欲求は湧かないのです。
いいねの数とか、自分が承認されたい気持ちって気にならないはずです。
以前、ある人から言われたのですが、Hiromiさんは、活動のために、もっと目立ったほうがよい、もっと〇〇さんのように人気者になって活動してほしいというようなことを言われたのですが・・・・・
私は思いました・・・・・
いえ、私は自分が目立ちたくてギフテッドの啓蒙活動しているわけじゃないし~
このブログは、私が人気者になるための活動の場じゃないんですよ~
だから、別に友達なんか要らないし~。
セルフブランディングだからなんだか知りませんが、自分のセミナーに勧誘するために、友達のフリして近づき、人に媚びを売るようなこと、私は嫌ですね。
必要な方だけに聞いてもらえればそれでいいし、
私じゃない私を盛って飾り立てる必要ないし、
私は私のままでいるから、受講者の方々にも
”あなたのままでいいんですよ!”
と言えるのです。
万人の他人に合わせて、共感してもらおうだなんて、土台、ムリがあるというものです。
人に好かれるためのイメージに自分を合わせるよりも、
自分のありのままを好きでいてくれる人といれば、自分も疲れないし、
相手も自分のままでいられるわけで、お互いに気持ちよい人間関係が作れるのです。
私が私であるというのは、
完璧で立派な人間じゃなくていい。
私が楽しく出来ることのなかで、ベストを尽くすのみなんです。
失敗があってもいいし、暴言や暴走をしてしまうこともあります
それが良いわけじゃないんですよ、もちろん
私がだれかに注目されるのが嬉しいんじゃなくて、
だれかが笑顔になるのをみるのが私も嬉しいのです。
自分の周りにお友達なんかいなくても良いんですよ。
お友達と始終、いっしょに行動していないと信頼できないような関係ならば、
そんなのはもともと友達じゃないんです。
笑顔でそこにいてくださる方が傍にいれば、それで十分じゃないですかね??
孤独を恐れずにね。
独りぼっちという状態は・・・・みんな同じだからね。
SNSの世界で、いいねの数やフォロワーさんの数で、自分の価値を決めるなんて、
所詮、幻想の世界。
アメブロでも、人気度や注目度を誇示したり、それを煽るような記事をたくさん拝見するのですが、
裏を返せば、それだけお友達やフォロワーさんがいても、満たされないものがあるのでしょう。
私は、裏も表もありません。
360度、どこからみても、私は私というオンリーワンの存在で、
絶対値に座すだけです。
しっかり、現実のなかで生きていこう!