旧石川県庁& 石川四高記念館 | 京都のぎっちゃん 旅日記

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兼六園から百万石通りを下って行くと 何やら立派な建物が・・・
 
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「しいのき迎賓館」 旧石川県庁です。
名前になっている大きな2本のしいのきは樹齢300年 
 
大正13年(1924)に石川県内初の本格的鉄筋コンクリート建造物です。
 
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1階から2階の踊り場には 輪島塗で出来た石川県の地図
 
 
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2階から3回の踊り場には ステンドグラス http://gazo.emoji7.jp/img/0503l_758445/%E3%82%AD%E3%83%A9%E3%82%AD%E3%83%A9_m.GIF
 
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内装は大理石がふんだんに使われ、扉は漆で仕上げられています。
 
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周辺の総合観光案内や、レストラン・カフェ、会議室、ギャラリーなどの
憩い・交流の空間を備えた施設として、金沢市民に親しまれているようです
 
 
 
旧石川県庁を出ると、隣に また レンガ造りの素敵な建物が・・http://gazo.emoji7.jp/img/054ik_754510/%E3%81%86%E3%81%95%E3%81%8E_m.gif
 
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明治24年(1891)完成の旧制第四高等中学校本校です。
昭和44年に国指定重要文化財に指定され、「学都」金沢のシンボル的存在として
今も昔も変わらず多くの人に親しまれているようです。
 
 
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 金沢は、「北の学都」と呼ばれることがあります。
地方中都市なのに、旧制高校である 第四高等学校(四高=「しこう」と読む)があり、旧制医大(金沢医大)もあった都 市だから、こう呼ばれるようです。
 
かつて旧制高校には、一高(現・ 東大教養学部=駒場)を頂点に、俗に「ナンバースクール」と呼ばれる数字の付いた 官立高校が、全国に8つありました。
 
 
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旧制高校は基本的に全寮制であり、この寮生活と勉学の3年間で、日本の知識人エ リートとしての教養と集団生活の和を身につけました。
8人部屋 に寝起きし、中央に勉学用の机と椅子の置かれた空間があり、部屋の両脇に畳敷きの 寝室が設けられていました。
 
 
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明治 大正 昭和 の学生
 
卒業生はほぼ全員が旧制帝大 に進んだようです。
高校と帝国大学の定員がほぼ同数にされていたので、東京帝大法科など 一部を除くと、大学へは全入の時代だったのです。
今の大学受験の厳しさは 高校受験の時に終わっているのですね http://gazo.emoji7.jp/img/054ik_754508/%E3%81%86%E3%81%95%E3%81%8E_m.gif
 
だから高校時代は ガリ勉する必要はなく、平気でバンカ ラし、文学や哲学、運動部活動に勤しんだ学生も多かったようです。
 
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古き良き時代の青春を謳歌する学生の姿を彷彿とさせる展示室でした http://gazo.emoji7.jp/img/054ik_754505/%E3%81%86%E3%81%95%E3%81%8E_m.gif
 
 
兼六園の周りには このような歴史的建造物や美術館が立ち並んでおり、
ここも ホテルへの帰り道に偶然見つけて立ち寄りました。
次回金沢を訪れる時は、下調べしてから訪れたいと思った次第です http://gazo.emoji7.jp/img/054ik_754511/%E3%81%86%E3%81%95%E3%81%8E_m.gif
 
長くなってしまいましたので、兼六園のライトアップは次回に・・・http://gazo.emoji7.jp/img/04hpb_480881/%E3%81%8A%E3%81%98%E3%81%8E_m.GIF