たとえば、落ち込んだ時 | 彼は彼で、必死で生きてる           

彼は彼で、必死で生きてる           

良いも悪いも善も悪も
優れているも劣っているも
社会や時代が引っ張った
一本の線の上か下か。あるいは右か左か。

静かに目や耳を澄ませた時
見えてくるもの聞こえてくるものって
何なのだろう?

たとえば、落ち込んだ時、

自分よりももっと落ち込んだ顔をして、
かつての後輩が突然訪ねて来たりする。

「先輩、もうだめです」
なんて。

どうしたん?

沈んだ自分の心に重ね合わせながら
あなたは、じっと後輩の言葉を受けとめる。

あなたはどう思うのか。

私のほうがもっとつらいよ。と思うのかもしれない。
大変だね、と本当に寄り添うのかもしれない。

そして、なんとか元気づけてやりたいと思うのかもしれない。
笑顔になって帰っていってほしいと思うのかもしれない。

後輩は言う。
「ありがとうございました。
聞いてもらえてよかったです。
すごく楽になりました」

もしそんなふうに後輩が
笑顔で帰っていったら、
あなたの気持はどう変化するのだろう?


ひとを元気づけたという実感は
いつだって、自分を元気にしている。

ひとに生きる力を与えたという実感は
いつだって、自分に生きる力を与えている。

ゴミ捨てにいってすれ違う人が
今日は笑顔だった。

それだけで、とても嬉しかったりする。

もしも、自分が笑顔で挨拶をしたら、
誰かが
「今日はなんだかいいことありそう」
なんて思うとしたら。
たったひとりでもいい。
そう思う人がいるとしたら。

僕らは人に元気を与えることができる人で、
僕らは人から元気をもらえる人で、

そして、その連鎖を広げている一人だと、
そんなことを、
たくさんの人が確信すればいいなと、

冷たい風が耳元で囁いたような
そんな朝をむかえています。