HOはいつも皆から笑われて、バカにされて、許されて生きて来た。それが彼女にとって唯一、人と一緒にいられる手段だったのだろう
当初、彼女の辞書には一生懸命にやるという言葉はなかった
100回以上は涙を流したが、HOは休まずに練習に来ていた
そして少しずつだが普通の子達に近づいていった
1年が過ぎ、そんな彼女も5年生になる頃には、一通りのメニューについてこれるくらいにまで成長していた
この年は6年が最終的に8人と5年1人、次女ともう一人の4年がAチーム
HOと新入部員の5年、4年3人、3年2人、2年が1人、三女達1年3人がBチームをだった
私はHOをBチームのキャプテンに任命した。兄弟のいない彼女は下の子達に優しく、面倒見は良かった。私はHOと下級生をワザと競わせた。比較的運動能力の高い子達が下級生には多く、HO以外の子達は、私が与える課題を次々とこなして行く
次々と課題を与える為に私も書籍やネット、他のチームの練習など沢山学んだ
HOも必死に皆に遅れないようについて来た
何かが彼女の中で変わった
続く