<瀬戸康史>“月9”「海月姫」で蔵之介役 美しい女装姿披露「女子力を磨き続けてる」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171206-00000036-mantan-ent
最近、やたらこういうのが記事としてもあって、どうなんだろうな?という思いもあるんですが、異性を小説や脚本で書く場合の留意点として、少しお話ししておいた方がいいかなと。
うちの塾では塾生のみなさんが入塾されるにあたって、必ずアンケートに記入していただいていますね。
セックス経験についてです。
ストーリーを作るとき、避けて通れないもののひとつに、セックス描写があります。
ポルノ小説でない限り、行為そのものをリアルに書く必要はないのですが、セックスに至る行為に行く前のアプローチ段階、つまり出会いからどのようにそういう感情に至ったのか、という部分が実は重要で、その感情はもちろん男女それぞれの書き手でずいぶん違います。
たとえば女性作家が男を書く場合、男が意外と描けていないし、その逆もしかりです。
これは永遠に書けないと私は思っています。
なぜならセックスの快感は、たとえば私は男性ですから射精の快感は書けますし、そのことは同性の男性塾生諸君にはわかるでしょうが、女性塾生諸君には半分以上理解できないはずです。
同様に女性の快感も男の側からいえば不可思議な部分があります。
だからといって、その気持がわかると勝手に思っている、上述の女装、オカマ、ニューハーフ、MtFというかたであっても、もちろんその逆、オナベというかたも同様だと思うのですが、セックスの快感そのものは、たとえ性同一性障害と診断され、性適合手術を受け、男性器を切除し女性器を作ったとしても、女性としての快感ではないわけです。
ただ、最近、SNSを通じてや、夫婦で仲良くしている、新宿2丁目のオカマちゃんなどと話していると、少なくとも気持は自分の思う性に移行しているんだろうなと感じる部分は多々あります。
ここでいいたいのは、異性を書くという時点で、何を読むかということなんですが、結論からいえば、異性は書けないということです。
が、近づくことはできるように思うのです。
それは姿形ではなく、心を読み取るということではないかと思うのです。
たとえば女性下着メーカーのワコールさんも以前はクライアントでしたし、スタッフのかたも存じ上げてもいました。
また存じ上げているといえば、女性の着物を染める着物作家の先生も、数人存じ上げているわけだけれど、女性が魅了されるファッションや色遣いを、男性ができるのも、姿が近づいているのではなく、意識や心がイコールでなくとも、限りなくニヤイコールになっているからでしょう。