小学生のときの一番の思い出は?
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あれ?小学校開校の日と悪役。なんの関係があるの?と思われるかもしれません。
さて、どうして今日が小学校開校の日なのか知りませんが、日本で最初にできた小学校は、京都の流池小学校で、今はちゅうがっこうになっていて、2番目に生まれた小学校と3番目に生まれた小学校も京都で、これは私の母校で、今は子どもの数が少なくなったため合併となり、3番目に誕生した小学校は解体されているはずです。
吉田義男といっても、ほとんどのかたは知らないでしょうし、知っているとしても「ああ、阪神タイガースのショート、後の監督ね」という方でしょうが、これは同姓同名違い。
悪魔くんというアニメの実写版。あるいは男はつらいよの冒頭シーンの常連、というと、何となくあああの人、という感じで思い出してもらえるでしょうが、その吉田さんが私の大先輩です。
実はけっこう有名な画伯で、屋上に上がる階段の踊り場に畳4畳分ぐらいの絵画が架かっていて、私はよくみました。
長じて東映で監督をやっているとき、兄と一緒に撮影所でお会いして、以降、懇意にしていただきました。
ということで、今回は悪役のストーリー上の役割について。
役者さんの中には一度も悪役をやったことのないスターといわれる人がいますが、私は悪役もできない大根役者が大きな顔して、悪役やったことないっていうなよ、って思うんですね。
たとえば斬られ役。
斬り役が下手だと「いい加減にしろ」って声が飛んできたもんです。
一番、怪我が多い役回りですからね。
それはさておき、ここでいう悪役は敵役という意味ではありません。
ここでいう敵役は主人公のライバルも敵役になることが多く、敵役に共感を持つ人もけっこういるものです。
たとえば加山雄三の若大将シリーズで、田中邦衛さん演じる青大将は、若大将の敵役なんですが、私はなぜ青大将が憎まれ役なのかな、とか、女性にモテるのは青大将でしょう。と思ったものです。
つまり共感を覚える敵役ではなく、共感のまったくの対岸にいる悪役が、憎たらしいほどであればあるほど、作者の目指す共感は増幅されるわけです。
じかにみたことはありませんが、中国の戦争映画では必ず日本人の軍人は、胸くその悪いほどの憎まれ役で登場するそうです。
日本嫌いの温床はそういうところにもあるわけですが、日本はそこまで悪役としての中国人を描いていません。
憎々しく描いていないから、そんなに悪くないんじゃないの?っていう感情になるわけですね。
憎々しく書くことによって、いかに自分たちは正しいか、が、ストーリーの肝になることを少し感じていただければと思います。