二階幹事長の韓国は面倒な国。ここから見える、文章力のつたなさ。読解力につたなさを考えましょう。 | 作家養成塾『遊房』の公式ブログ 「めざせ!公募小説新人賞」門座右京監修

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自民・二階幹事長「韓国は面倒な国」 対抗措置を評価
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170106-00000540-san-pol

詳しくは上述のこの記事でご覧ください。
なお、個人的に言えば私は韓国も中国も大嫌いな人間で、もちろん擁護する気はありませんが、塾生諸君の未熟な読解力を考え、ここで言いたいことは、彼らに関することではないといっておきます。
というより、議論の対象にもしたくないというように解釈ください。

さて、ここで言いたいのは、

韓国については「大事な国であることには違いないが、交渉したりいろいろなことを話し合ったりしていくには、なかなか面倒な国だ」と述べた。

という一節で、ツイッター辺りでは、「面倒な国」だけが一人歩きしてしまう、日本語の未熟なレベルを考えてほしいわけです。

私の場合、集客が本業ですから、集客がどういう手段であれ、集めるためにあえて、いわゆる炎上させる手法もとりますが、それだけではどうしても手段に対する目的とのずれがあり、それではいけないわけです。

で、たとえばコピーライト手法でいうキャッチフレーズが、この「面倒な国」であれば、上述の意図を汲んだものにならないのも事実ということはわかりますね。

では「大事な国だが面倒な国」ではどうでしょうか?
国というと話が漠然としますから、国を彼女、彼氏と置き換えてみましょう。

これを比喩法といいます。
大事な恋人だが面倒な恋人。
平たく言えば私は好きだけれど、講釈や理屈が多くて、正直、この先結婚までいくんだろうか?ということですね。

たぶんアンケートをとると、データ的にも別れる恋人同士の関係になろうかと思います。
じゃあ別れればいいじゃないか。ということですが、多少、弱味があるので別れたくても別れられない関係といっていいでしょう。

昔、こういうドラマがありました。
スチュワーデス物語という作品です。
スキー場で片平なぎさ演じる恋人の両腕を切断する大事故を、恋人の風間杜夫が原因で起こしてしまう。
恋人はいじけて性悪女になるが別れられないという設定です。

現実問題で言えば、韓国という国家は当時なかったわけで、戦後誕生した国ですから、恋人として成立していないのに、恋人呼ばわりは片腹痛いわけで、個人的には別れたくてしょうがないのが私ですが、大人の日本国は一応今もなだめているわけですね。

日韓はこういう関係です。

さて、ここからが本題ですが、私が言いたいのは、
「大事な国だが面倒な国」
というなら、何がどう大事なのかを日本が明示しないと、相手には通じないということです。

スチュワーデス物語の場合、片平なぎさ演じる恋人はピアニストです。
両腕を恋人によって切断するということは、ピアニストではなくなるわけで、人生の否定です。
そのための杖になる。というのは同情ですね。

同情で繋がる恋人に明日はないんだけれど、その大事であることを、具体的に風間杜夫も台詞としていっていないんですね。

きちんといった上で、同情されているだけの関係がわかれば、いかにバカな人でも別れる選択肢を選ぶんじゃないですかね。

要は舌足らず。

ことばはきちんと使っていきましょう。