ベビーカー自粛看板の寺に噛みついたツイッター意見から、未熟な短文風潮を考えてみましょう。 | 作家養成塾『遊房』の公式ブログ 「めざせ!公募小説新人賞」門座右京監修

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たぶんみなさんがインターネットというか、パソコンを使いだされたのは10年ぐらいで、長くて15年といったところのはずです。
実は私、30年以上になります。
当時のパソコンは、ベーシック方式といって、使用目的に合わせていわゆるソフトを自力入力して使うというもので、誰でもふたを開ければ使えるというのは、当時では考えられなかったわけです。

その時代にメールという文化が生まれました。
活字離れ、手紙を書かなくなった世相を逆行する現象に、物書きの私ぐらいが利用できるサービスだろうなと思っていましたが、あれよという間にメール文化が広がりましたが、塾生諸君の文章を読むと、稚拙を通り越して、小学生をやり直せよ、とツッコミたくなるものが多く、今回のベビーカーの炎上問題は、ツイッターなる文章以下、単語レベルの文章力と読解力が生んだ悲劇のような気がします。

問題となったのは、寺が三が日だけでもベビーカーの乗り入れ自粛を。という看板に噛みついたツイッターで、結局、寺の言いたいことは、それまでベビーカー優先の参拝を行なってきたが、ベビーカーに乗る必要のない小学生を乗せて、優先的に参拝する人が目に余るほど増えたことで、その人に対する措置だったようで、要するに舌っ足らずが招いた炎上ということになるでしょう。

SNSでもたとえばこのテーマで書き込んだとしても、それが女性のウォーラーなら、書き込む意味のない「おはようございます。今日も元気で」と書く人が後を絶たないのは、読めない書けないの悲劇です。

もちろん丁寧に書き込みすぎることで、話のテンポをスロー化させるということも、小説などにはあります。
よく筆が滑るというのは、こうした状況で、自身のテンポを大事に、かつ、もっとも重要な、「文章は記録されることばであり、文章は読者にわかりやすく、かつ、正確に伝えること」を本分としていただければと思います。